好日奥武蔵 (奥武蔵の山人)
実践記 ウォーキング、トレッキング ノ ススメ...稚拙な好奇心...時折下手な工作
2015/09/28 Mon.
若宮橋(木製冠水橋・高麗川)をさまよってみる  
若宮橋(木製冠水橋・高麗川)をさまよってみる
▽700 若宮橋・高麗川 2015/08/22

ある日の話の中で「高麗川に若宮橋」と云うのがあるらしいという情報を得ました。
何でも「木製で冠水橋」だと言うじゃあありませんか・・・それを聴くと居ても立ってもいられません。
どうも最近は困ったことで、山人の意に反して川が誘いをかけてきます。
そうすると軟弱な心身の私は引っ張られるようにして川に向かってしまうのです。
そんなことで何時もの病が発症し「若宮橋」の周辺をさまよってみました。
▽690 若宮橋入り口 (鶴舞側から)

▽692 このせまい小路を進むと

▽693 突然、「ガタ、ガタガタ・・・」と音が聞こえてきました。

見ると前方に木製の橋が見えます。
野球少年達の自転車が元気よく渡って行きます・・・これが「若宮橋」のようです。
▽694

▽697 右岸から左岸を見ます。

現状の高麗川は橋の右岸寄りを流れています。
橋の長さは103mですが、その多くの部分は水のない草原の上に架かっています。
◇橋の長さ:全長約103m 幅:1.8m、中央部が少し広く2.3m
歩行部の裏に鋼材を使用している(レールの廃材)
場所:坂戸市厚川(あつがわ)、高麗川の右岸側にある厚川鶴舞運動公園の近くです。
運動公園に車を留めて周辺をさまよってみました。
▽699 予想通りの素晴しい寂れかたで、永年を風水にさらされ、よい味が出ています。

▽701 何日か前の雨で増水し、流されてきた草が流木避けに引っ掛っています。

▽703 上流側

▽704 橋桁を下から見ると

桁の底には廃材の鉄道レールが使用されています。
かなり重量感がありますので、歩道部の強化と増水時に桁が流され難くいのかも知れません。
▽705 全長103m、途中が曲がっています。

流木避けの一部が壊れている所を見ると、増水時に何か大きな物でも当ったのでしょうか。
▽706

▽707

▽708

▽709 今日は穏やかに流れていますが、

増水時には濁流の嵩が増し、被ることもあるのでしょう。
その時の爪痕を桁、橋脚、流木避けに見ることが出来ます。
▽710

▽711 橋の大部分は堆積した土と草の上にあります。

低い欄干に両側から草木がのり出しています。
増水の度に流されてきた土砂が堆積し、橋脚はだいぶ埋まり、桁と河床の間はだいぶ狭く(50cm)ほどになっています。
このまま何年か過ぎると、橋脚から橋桁まで土砂に埋まりそうです。
▽713 対岸にきました(左岸)

▽715 対岸は堤状になっていました。

▽716

▽720

▽722

▽723

▽725 どこの橋に行っても川縁を歩いてみたいと思うのですが

時節柄、ご覧のような状態で歩くのは困難でした。
雉の鳴声が近くで聴こえます。姿は見せませんでしたが複数羽いたようです。
▽728 2mを越える草(何でしょう)が生い茂っています。

▽729

▽730 面白そうな道がありますが、晩秋が良さそうですね。

▽733 鶴舞樹林・・・鶴が飛来するのでしょうか・・・

◇坂戸市Webによりますと、この近辺に「高麗川ふるさと遊歩道」というウォーキングコースがあり、
高麗川沿いの橋を巡るように設定されています。
【上流から下流に向かう場合の起点】
老人福祉センター城山荘-多和目天神橋-諏訪神社-森戸橋-万年橋-若宮橋-浅羽野中学校
-高麗川右岸環境側帯【終点】約、10.2Km
近くの橋 ⇒ 多和目天神橋・・・郷愁誘う木製冠水橋をさまよう
◇いつもながら、木製の冠水橋を見ると遠い昔にみた絵本や夢でみた野山に架かる橋・・・そんな想いがしてきます。
自身が山中に生まれ、幼少のころ木と触れ合って過ごしてきたことにその一因にあるかも知れません。
マァそれがなんて言うか、サルに生まれるか、ヒトに生まれるかの境目で、
たまたまヒトに生まれたようなものですが・・・
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▽700 若宮橋・高麗川 2015/08/22

ある日の話の中で「高麗川に若宮橋」と云うのがあるらしいという情報を得ました。
何でも「木製で冠水橋」だと言うじゃあありませんか・・・それを聴くと居ても立ってもいられません。
どうも最近は困ったことで、山人の意に反して川が誘いをかけてきます。
そうすると軟弱な心身の私は引っ張られるようにして川に向かってしまうのです。
そんなことで何時もの病が発症し「若宮橋」の周辺をさまよってみました。
▽690 若宮橋入り口 (鶴舞側から)

▽692 このせまい小路を進むと

▽693 突然、「ガタ、ガタガタ・・・」と音が聞こえてきました。

見ると前方に木製の橋が見えます。
野球少年達の自転車が元気よく渡って行きます・・・これが「若宮橋」のようです。
▽694

▽697 右岸から左岸を見ます。

現状の高麗川は橋の右岸寄りを流れています。
橋の長さは103mですが、その多くの部分は水のない草原の上に架かっています。
◇橋の長さ:全長約103m 幅:1.8m、中央部が少し広く2.3m
歩行部の裏に鋼材を使用している(レールの廃材)
場所:坂戸市厚川(あつがわ)、高麗川の右岸側にある厚川鶴舞運動公園の近くです。
運動公園に車を留めて周辺をさまよってみました。
▽699 予想通りの素晴しい寂れかたで、永年を風水にさらされ、よい味が出ています。

▽701 何日か前の雨で増水し、流されてきた草が流木避けに引っ掛っています。

▽703 上流側

▽704 橋桁を下から見ると

桁の底には廃材の鉄道レールが使用されています。
かなり重量感がありますので、歩道部の強化と増水時に桁が流され難くいのかも知れません。
▽705 全長103m、途中が曲がっています。

流木避けの一部が壊れている所を見ると、増水時に何か大きな物でも当ったのでしょうか。
▽706

▽707

▽708

▽709 今日は穏やかに流れていますが、

増水時には濁流の嵩が増し、被ることもあるのでしょう。
その時の爪痕を桁、橋脚、流木避けに見ることが出来ます。
▽710

▽711 橋の大部分は堆積した土と草の上にあります。

低い欄干に両側から草木がのり出しています。
増水の度に流されてきた土砂が堆積し、橋脚はだいぶ埋まり、桁と河床の間はだいぶ狭く(50cm)ほどになっています。
このまま何年か過ぎると、橋脚から橋桁まで土砂に埋まりそうです。
▽713 対岸にきました(左岸)

▽715 対岸は堤状になっていました。

▽716

▽720

▽722

▽723

▽725 どこの橋に行っても川縁を歩いてみたいと思うのですが

時節柄、ご覧のような状態で歩くのは困難でした。
雉の鳴声が近くで聴こえます。姿は見せませんでしたが複数羽いたようです。
▽728 2mを越える草(何でしょう)が生い茂っています。

▽729

▽730 面白そうな道がありますが、晩秋が良さそうですね。

▽733 鶴舞樹林・・・鶴が飛来するのでしょうか・・・

◇坂戸市Webによりますと、この近辺に「高麗川ふるさと遊歩道」というウォーキングコースがあり、
高麗川沿いの橋を巡るように設定されています。
【上流から下流に向かう場合の起点】
老人福祉センター城山荘-多和目天神橋-諏訪神社-森戸橋-万年橋-若宮橋-浅羽野中学校
-高麗川右岸環境側帯【終点】約、10.2Km
近くの橋 ⇒ 多和目天神橋・・・郷愁誘う木製冠水橋をさまよう
◇いつもながら、木製の冠水橋を見ると遠い昔にみた絵本や夢でみた野山に架かる橋・・・そんな想いがしてきます。
自身が山中に生まれ、幼少のころ木と触れ合って過ごしてきたことにその一因にあるかも知れません。
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2015/09/23 Wed.
清川橋・曼珠沙華(彼岸花)―成木川 2915/9/20 
清川橋・曼珠沙華(彼岸花)―成木川 2915/9/20
▽097 曼珠沙華・清川橋

墓参りを終え、午後時間がとれたので成木川の下流をさまよってみました。
清川橋、上流側の木の下、左岸に曼珠沙華の群生があります。
近隣の方々のご努力によってゴミや雑草が綺麗に処理され、今年も赤く鮮やかなに開花していました。
ここは最近、桜と彼岸花で徐々に知られるようになったところです。この日もカメラを持った人や親子、
家族連など30人ほどに出会いました。
▽075 成木川沿い 左岸

▽078

▽079

▽080

▽081 背景の橋は清川橋

今年は天候の関係から例年より「赤が濃く鮮やかに出ている」・・・近くの方の話。
▽083

▽085

▽086

▽087

▽089

▽090

▽091 花は咲き頃、見ごろの満開です。

▽093

背景に夏の終わりの成木川を楽しんでいられる方々が見えます。
▽094

▽096

▽098

▽099

▽104

▽105

▽109

▽110

▽114

▽117

▽120

▽126

▽132

▽134

◇子供の頃、家の裏の土手には沢山の赤い花が咲いていました。
その頃は他の花と比べて葉や花の形、色が異様に思え、この花にあまり良い印象をもっていませんでした。
しかし、最近は日本の各地で彼岸花の名所情報が伝えられるようになり、時季には沢山の人々が観に出かけ、
昔とは全く違うイメージで秋を代表する花になってきました。
◇場所は飯能市、成木川に架かる清川橋の近く(上流側)の左岸、前ヶ貫、対岸は落合。
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▽097 曼珠沙華・清川橋

墓参りを終え、午後時間がとれたので成木川の下流をさまよってみました。
清川橋、上流側の木の下、左岸に曼珠沙華の群生があります。
近隣の方々のご努力によってゴミや雑草が綺麗に処理され、今年も赤く鮮やかなに開花していました。
ここは最近、桜と彼岸花で徐々に知られるようになったところです。この日もカメラを持った人や親子、
家族連など30人ほどに出会いました。
▽075 成木川沿い 左岸

▽078

▽079

▽080

▽081 背景の橋は清川橋

今年は天候の関係から例年より「赤が濃く鮮やかに出ている」・・・近くの方の話。
▽083

▽085

▽086

▽087

▽089

▽090

▽091 花は咲き頃、見ごろの満開です。

▽093

背景に夏の終わりの成木川を楽しんでいられる方々が見えます。
▽094

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▽109

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▽126

▽132

▽134

◇子供の頃、家の裏の土手には沢山の赤い花が咲いていました。
その頃は他の花と比べて葉や花の形、色が異様に思え、この花にあまり良い印象をもっていませんでした。
しかし、最近は日本の各地で彼岸花の名所情報が伝えられるようになり、時季には沢山の人々が観に出かけ、
昔とは全く違うイメージで秋を代表する花になってきました。
◇場所は飯能市、成木川に架かる清川橋の近く(上流側)の左岸、前ヶ貫、対岸は落合。
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2015/09/16 Wed.
豊水橋 3 入間市と狭山市、稚拙な好奇心的にさまよってみる  
豊水橋 3 入間市と狭山市、稚拙な好奇心的にさまよってみる
▽001 入間川の夕景(豊水橋・右岸から)

2015年3月 ⇒ 水ぬるむ入間川の夕景-1
◇豊水橋の周辺を稚拙な好奇心的にさまよう
以前、触れましたが、豊水橋(とよみずはし)は事情を知らなければ「ほうすいばし」と読んでしまいます。
私も永い間「ほうすいばし」だと思っていました。会話の中でも「ほうすいばしを渡って・・・」などと言って
何の疑問も持たなかったです。
▽996

豊水橋は豊岡町(現在の入間市)と対岸の水富村(現在の狭山市)を繋ぐ橋として1920年に初代の木造橋が架けられました。
豊岡町と水富村の頭文字をとって「豊水橋」と命名されたと云われています。
状況を知らない人が「豊水橋」と聞けば水が豊かな川に架かった橋・・・などと思っても不思議ではありません。
▽993

◇豊岡町の文字を見ると、豊かな岡(丘)と読めます。たしかに水富(左岸)側から橋を渡って右岸を更に進むと
地形は坂を登り岡(丘)に上がることになります。
昔この辺は豊かな田園の広がる岡(丘)だったのでしょう(定かなことは分かりませんが)
入間市となった今も地域には豊岡と云う名称は残っています。
豊岡街道、豊岡高校など豊岡を冠したものが沢山あります。
最寄の駅名も1967年に現在の「入間市駅」に変わるまでは豊岡町駅でした。
私が高校生の頃は豊岡町駅だったのを覚えています。(豊岡町駅は1915年に開かれました)
▽994

◇豊岡町を調べてみると
1889年に扇町屋村、黒須村、高倉村などが合併し豊岡町になりました。
1956年には金子村、宮寺村、藤沢村、西武町などと合併し武蔵町となります。
1966年、入間町と改称し即日、入間市となり現在に至っています。
▽997

◇水富(村)の方には、水が富む・・・豊かな水のあった地域だったことが想像されます。
幼い時、299号線から豊水橋を通った仄かな記憶では、水田が広がっていたような感じがしました。
実際のところはどうだったのでしょう。
そこには今も水富小学校、水富郵便局などがありますし、一帯は水富地区と呼ばれています。
水富村はWebによりますと
1889年に周辺の根岸、上広瀬、上広瀬、笹井の各村が合併し水富村として成立。
1954年には入間川町と入間村、堀兼村、奥富村、柏原村、水富村が合併し狭山市となり水富村は
その使命を狭山市に繋ぎます。
▽998

◇入間市と狭山市
飽くまでも部外者の稚拙な好奇心ですが、
お隣同士のこの二つの市はヤヤッコシイ関係が垣間見えます。
先ず、狭山市には元々、入間村や入間川町があり狭山市は入間市としても良かったと思うのですが、
ナゼか狭山市になりました。
▽999

また入間市は武蔵町から武蔵市か豊岡市になっても良さそうですが
ナゼか(狭山市の)入間川町の入間を採って入間市になりました。
更に、今の入間市は以前、狭山市の区域内に入間川駅があったにも拘わらず入間市駅とし、
狭山市はその後、入間川駅を狭山市駅としたのです。
▽000

◇小学校は大変なことになっていました。
入間市立狭山小学校があるかと思えば、
狭山市立入間小学校(今は廃校)がありました。
狭山市には入間中学校が今年の春(2015年3月)までありました。
この中学校は入間村立入間中学校として1947年に開校し、狭山市に移行後は狭山市立入間中学校となっていました。
たしか、狭山ヶ丘高校は入間市にあったし、
狭山台は狭山市にあったかと思うと入間市にもあります。
航空自衛隊の基地、正式な所在地は狭山市稲荷山にありますが「入間基地」です。
そうそう、関東三大七夕祭りは入間(川)で場所は狭山市です。
・・・限がないですね・・・このゴチャゴチャ入り組み感、全国一ではないでしょうか。
▽005

なぜ入間市は他市(狭山市)の旧入間村、入間川町などの入間名を採ったのでしょう・・・
飽くまでも私の稚拙な好奇心ですが・・・
本来は狭山丘陵側にある入間市が狭山市となるべきでしたが、
狭山市が全国区である「狭山茶」を意識してか先に狭山市と名乗ってしまった。
それで入間市とするしかなかった・・・それがヤヤッコシイことの始まりになったのではないでしょうか・・・
飽くまでも稚拙な好奇心です。
▽006

狭山茶は狭山市だと思っていたのですが、じつは狭山茶は入間市が本場でした。
これはこの地を狭山市に出来なかったことが理由です。
地域的には以前、今の入間が狭山で狭山が入間だったのです・・・
他の地域の方は何のことだかワケが分かりませんね。
入間市の狭山が・・・狭山の元と言われているのは狭山丘陵からきていると考えられます。
本来は今の入間市が狭山市で、入間の元は入間村・入間川町と考えると
今の狭山市は入間市としたほうが自然に感じるのですが・・・
入間市と狭山市、どうしてこうなってしまったのか、その辺の事情について私には分からないところです。
ご存知の方がいらっしゃいましたらご教示下されば有難いです。
入間市は「いるまし」です。時折り「にんげんし」と読まれる方がいるらしいので「いるまし」と記しておきます)
▽007

2015/09/12 入間川の夕景をさまよいながら
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▽001 入間川の夕景(豊水橋・右岸から)

2015年3月 ⇒ 水ぬるむ入間川の夕景-1
◇豊水橋の周辺を稚拙な好奇心的にさまよう
以前、触れましたが、豊水橋(とよみずはし)は事情を知らなければ「ほうすいばし」と読んでしまいます。
私も永い間「ほうすいばし」だと思っていました。会話の中でも「ほうすいばしを渡って・・・」などと言って
何の疑問も持たなかったです。
▽996

豊水橋は豊岡町(現在の入間市)と対岸の水富村(現在の狭山市)を繋ぐ橋として1920年に初代の木造橋が架けられました。
豊岡町と水富村の頭文字をとって「豊水橋」と命名されたと云われています。
状況を知らない人が「豊水橋」と聞けば水が豊かな川に架かった橋・・・などと思っても不思議ではありません。
▽993

◇豊岡町の文字を見ると、豊かな岡(丘)と読めます。たしかに水富(左岸)側から橋を渡って右岸を更に進むと
地形は坂を登り岡(丘)に上がることになります。
昔この辺は豊かな田園の広がる岡(丘)だったのでしょう(定かなことは分かりませんが)
入間市となった今も地域には豊岡と云う名称は残っています。
豊岡街道、豊岡高校など豊岡を冠したものが沢山あります。
最寄の駅名も1967年に現在の「入間市駅」に変わるまでは豊岡町駅でした。
私が高校生の頃は豊岡町駅だったのを覚えています。(豊岡町駅は1915年に開かれました)
▽994

◇豊岡町を調べてみると
1889年に扇町屋村、黒須村、高倉村などが合併し豊岡町になりました。
1956年には金子村、宮寺村、藤沢村、西武町などと合併し武蔵町となります。
1966年、入間町と改称し即日、入間市となり現在に至っています。
▽997

◇水富(村)の方には、水が富む・・・豊かな水のあった地域だったことが想像されます。
幼い時、299号線から豊水橋を通った仄かな記憶では、水田が広がっていたような感じがしました。
実際のところはどうだったのでしょう。
そこには今も水富小学校、水富郵便局などがありますし、一帯は水富地区と呼ばれています。
水富村はWebによりますと
1889年に周辺の根岸、上広瀬、上広瀬、笹井の各村が合併し水富村として成立。
1954年には入間川町と入間村、堀兼村、奥富村、柏原村、水富村が合併し狭山市となり水富村は
その使命を狭山市に繋ぎます。
▽998

◇入間市と狭山市
飽くまでも部外者の稚拙な好奇心ですが、
お隣同士のこの二つの市はヤヤッコシイ関係が垣間見えます。
先ず、狭山市には元々、入間村や入間川町があり狭山市は入間市としても良かったと思うのですが、
ナゼか狭山市になりました。
▽999

また入間市は武蔵町から武蔵市か豊岡市になっても良さそうですが
ナゼか(狭山市の)入間川町の入間を採って入間市になりました。
更に、今の入間市は以前、狭山市の区域内に入間川駅があったにも拘わらず入間市駅とし、
狭山市はその後、入間川駅を狭山市駅としたのです。
▽000

◇小学校は大変なことになっていました。
入間市立狭山小学校があるかと思えば、
狭山市立入間小学校(今は廃校)がありました。
狭山市には入間中学校が今年の春(2015年3月)までありました。
この中学校は入間村立入間中学校として1947年に開校し、狭山市に移行後は狭山市立入間中学校となっていました。
たしか、狭山ヶ丘高校は入間市にあったし、
狭山台は狭山市にあったかと思うと入間市にもあります。
航空自衛隊の基地、正式な所在地は狭山市稲荷山にありますが「入間基地」です。
そうそう、関東三大七夕祭りは入間(川)で場所は狭山市です。
・・・限がないですね・・・このゴチャゴチャ入り組み感、全国一ではないでしょうか。
▽005

なぜ入間市は他市(狭山市)の旧入間村、入間川町などの入間名を採ったのでしょう・・・
飽くまでも私の稚拙な好奇心ですが・・・
本来は狭山丘陵側にある入間市が狭山市となるべきでしたが、
狭山市が全国区である「狭山茶」を意識してか先に狭山市と名乗ってしまった。
それで入間市とするしかなかった・・・それがヤヤッコシイことの始まりになったのではないでしょうか・・・
飽くまでも稚拙な好奇心です。
▽006

狭山茶は狭山市だと思っていたのですが、じつは狭山茶は入間市が本場でした。
これはこの地を狭山市に出来なかったことが理由です。
地域的には以前、今の入間が狭山で狭山が入間だったのです・・・
他の地域の方は何のことだかワケが分かりませんね。
入間市の狭山が・・・狭山の元と言われているのは狭山丘陵からきていると考えられます。
本来は今の入間市が狭山市で、入間の元は入間村・入間川町と考えると
今の狭山市は入間市としたほうが自然に感じるのですが・・・
入間市と狭山市、どうしてこうなってしまったのか、その辺の事情について私には分からないところです。
ご存知の方がいらっしゃいましたらご教示下されば有難いです。
入間市は「いるまし」です。時折り「にんげんし」と読まれる方がいるらしいので「いるまし」と記しておきます)
▽007

2015/09/12 入間川の夕景をさまよいながら
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Posted on 23:51 [edit]
category: 橋梁 冠水橋 流れ橋 木製橋 鉄橋・・・
2015/09/13 Sun.
豊水橋 2 楽しき 釣り人 
豊水橋 2 楽しき 釣り人
▽192 2015/7/25

狭山市に所用があり、帰りがけに豊水橋・入間川の岸辺をさまよってみました。
▽193

川岸をさまよっていると、3人組の釣り人に とっ捉まります。
「なにを撮ってんの」
「かわべり・・・」
「こんなところで撮るような所があるかや」
「あるある 名栗川からず~っと荒川、河口まで撮る予定なんだ」
そんな話から始まり
「そんじゃあ源流の名栗のウノタワの方まで行ったのかあ?」
「ああ行きましたよ あの東側に源流があるんですよね」
「ウノタワを知ってんの」
「知ってるよ~ たまに近くまで行くから何回か登ったよ」
▽194 悠然と鯉が泳いでいます。

「あらあ~釣り人は凄いね やまん中まで行くんだあ」
「ウノタワに行っても魚は釣れないけど、あの沢を登っていくのも面白れいしなあ」
「今なんか途中の苔がいいんだんべえ」
「だけどよお 上の方に行くと熊の爪痕がいっぱえあるんだいな」
「そうそう、あの爪痕を見ると怖ええなあ」
・・・気取る必要は無い 飯能弁でよいのです。(しかし、正調飯能弁ではなく変調されているなあ)
とっ捉まって なかなか開放されない
▽195

開放されないって云うか、釣り軍団の仲間にされそう。
▽196

川人さん達の中に、かなり山中に入って行く人もいるようです。
思わぬところで、ウノタワの話は尽きません。
御三方、釣りも人生も、とても経験豊富な感じです。
人懐っこく、味のある笑顔がそれを物語っています。
▽197

釣竿が川に向かって立てかけてあります。
暑いので長時間、竿を持っていられないのか
木陰に退避して、釣果は川任せ、竿任せなのかなあ・・・
釣りのことは全く解らない山人が勝手にそう思います。
▽198

▽199

それにしても、川人(釣り人)も山人も話してみれば意外と面白く繋がることがあります。
▽200

▽201

ウノタワは⇒ ウノタワ 晩秋の源流を訪ねる
◇長雨が一段落し、夜になると虫の音が聞こえてくる季節になりました。
しかしながら、当ブログは季節感が遠ざかるばかりの今日この頃です。
まだまだブログ上での夏は終わりそうにありません・・・
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▽192 2015/7/25

狭山市に所用があり、帰りがけに豊水橋・入間川の岸辺をさまよってみました。
▽193

川岸をさまよっていると、3人組の釣り人に とっ捉まります。
「なにを撮ってんの」
「かわべり・・・」
「こんなところで撮るような所があるかや」
「あるある 名栗川からず~っと荒川、河口まで撮る予定なんだ」
そんな話から始まり
「そんじゃあ源流の名栗のウノタワの方まで行ったのかあ?」
「ああ行きましたよ あの東側に源流があるんですよね」
「ウノタワを知ってんの」
「知ってるよ~ たまに近くまで行くから何回か登ったよ」
▽194 悠然と鯉が泳いでいます。

「あらあ~釣り人は凄いね やまん中まで行くんだあ」
「ウノタワに行っても魚は釣れないけど、あの沢を登っていくのも面白れいしなあ」
「今なんか途中の苔がいいんだんべえ」
「だけどよお 上の方に行くと熊の爪痕がいっぱえあるんだいな」
「そうそう、あの爪痕を見ると怖ええなあ」
・・・気取る必要は無い 飯能弁でよいのです。(しかし、正調飯能弁ではなく変調されているなあ)
とっ捉まって なかなか開放されない
▽195

開放されないって云うか、釣り軍団の仲間にされそう。
▽196

川人さん達の中に、かなり山中に入って行く人もいるようです。
思わぬところで、ウノタワの話は尽きません。
御三方、釣りも人生も、とても経験豊富な感じです。
人懐っこく、味のある笑顔がそれを物語っています。
▽197

釣竿が川に向かって立てかけてあります。
暑いので長時間、竿を持っていられないのか
木陰に退避して、釣果は川任せ、竿任せなのかなあ・・・
釣りのことは全く解らない山人が勝手にそう思います。
▽198

▽199

それにしても、川人(釣り人)も山人も話してみれば意外と面白く繋がることがあります。
▽200

▽201

ウノタワは⇒ ウノタワ 晩秋の源流を訪ねる
◇長雨が一段落し、夜になると虫の音が聞こえてくる季節になりました。
しかしながら、当ブログは季節感が遠ざかるばかりの今日この頃です。
まだまだブログ上での夏は終わりそうにありません・・・
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Posted on 23:12 [edit]
category: 橋梁 冠水橋 流れ橋 木製橋 鉄橋・・・
2015/09/10 Thu.
豊水橋 1猛暑をさまよう2015/7/25 
豊水橋 1猛暑をさまよう2015/7/25
▽187 夏の水を湛えた入間川は

慌てず急がずユックリと流れます。
この流れを見ていると、短気でせっかちな自分もいつかはこのように歩みたいなあと思います。
しかしそうなる前に星になってしまいそうですが・・・
▽176

所用の折の道草です。豊水橋の岸辺をちょこっと さまよってみました。
▽177

▽178

この日は暑かった記憶が残っています。7月25日のお昼頃、凪の状態で湿度も高かったですね。
▽179 堰と魚道

▽180

自分流の橋の楽しみかた。
先ず橋の上を歩いてみます。次に出来るだけ川岸に降りて下から橋の裏側を覗いてみます。
時と場合によっては危険な行為ですが、橋だったらそうしても問題は無いでしょう。
更に出来れば橋の入り口から出口までの全景を撮りたいです。
モチロン川上と川下の両方から・・・
そんなことをやっているので、源流から東京湾までなかなか辿りつかないワケです。
現在、東京湾まであと41km(治水橋)の地点で足踏みが続いています。
▽181

▽185

▽186

▽188

この緑に心身が癒されます。こう云うのって若いときには全く良さが解らなかったですね・・・私だけでしょうか。
▽189 曇りの日でしたが、川と両岸の緑が綺麗でした。

▽190

同じところでも冬や秋のそれぞれの表情を観たいです。
▽191

2014 年3月⇒ 水ぬるむ 入間川 豊水橋
◇2へ続きます。
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▽187 夏の水を湛えた入間川は

慌てず急がずユックリと流れます。
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しかしそうなる前に星になってしまいそうですが・・・
▽176

所用の折の道草です。豊水橋の岸辺をちょこっと さまよってみました。
▽177

▽178

この日は暑かった記憶が残っています。7月25日のお昼頃、凪の状態で湿度も高かったですね。
▽179 堰と魚道

▽180

自分流の橋の楽しみかた。
先ず橋の上を歩いてみます。次に出来るだけ川岸に降りて下から橋の裏側を覗いてみます。
時と場合によっては危険な行為ですが、橋だったらそうしても問題は無いでしょう。
更に出来れば橋の入り口から出口までの全景を撮りたいです。
モチロン川上と川下の両方から・・・
そんなことをやっているので、源流から東京湾までなかなか辿りつかないワケです。
現在、東京湾まであと41km(治水橋)の地点で足踏みが続いています。
▽181

▽185

▽186

▽188

この緑に心身が癒されます。こう云うのって若いときには全く良さが解らなかったですね・・・私だけでしょうか。
▽189 曇りの日でしたが、川と両岸の緑が綺麗でした。

▽190

同じところでも冬や秋のそれぞれの表情を観たいです。
▽191

2014 年3月⇒ 水ぬるむ 入間川 豊水橋
◇2へ続きます。
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Posted on 00:41 [edit]
category: 橋梁 冠水橋 流れ橋 木製橋 鉄橋・・・
2015/09/06 Sun.
奥武蔵_顔振峠-2摩利支天2015/08/14 
奥武蔵_顔振峠-2摩利支天2015/08/14
▽670 南へ広がる山並み、奥武蔵グリーンラインからの展望

前回は⇒ 奥武蔵_顔振峠-飯能アルプス2015/08/14
雨宿りを兼ねて「顔振茶屋」にてユックリとさせてもらいました。
さて雨も上がってきましたので腰を上げ、帰ることにします。
帰りがけ、近くの「摩利支天」に寄ることにしました。
ここからの景色もなかなかのものなのです。
山並みが幾筋も見えます。遠くのほうは有間から奥多摩でしょう。
天気次第ですが、富士山や丹沢のほうまで見ることが出来ます。
手前から3列目に「修行の道・飯能アルプス」の山稜が見えます。
今この位置は奥武蔵グリーンラインです。
ここを南に下れば国道299号線と西武秩父線が高麗川に沿って北西から南東に走っています。
299号と高麗川、西武秩父線と渡れば飯能アルプスの大高山や天覚山への登山口取り付くことになります。
飯能アルプス⇒ 飯能アルプス縦走4大高山~天覚山(1月27日の縦走記)
▽669 墨絵の世界に浸っているようです。

▽672 霧の上がる風景に目を凝らします。

▽673 南の斜面に民家の屋根が見えます。

昨年、大雪の時には道が途絶えた期間もあり大変だったと思います。山の環境の中、それでも代々ここを護られて住まわれている・・・我々には分からないご苦労もあるのでしょうが、やはり「住めば都」なのでしょうね。
▽674 摩利支天

▽677 長沢地区「飯能市・吾野」

▽678 谷から霧が立ち上がり、見応え充分な時です。

▽682

▽683

▽684 霧が徐々に落ち着いてきました。

▽688 摩利支天

摩利支天(まりしてん)について、当然ながら知識はありません。
Webによると仏教の守護神で陽炎を神格化したと云われています。
数年前、摩利支天は別の山道で偶然に出合いました。
そのお社の清掃をされていた方の話で金運の神と聞いたことがあります。
生まれてから半世紀が過ぎています・・・私が金運に見放された人生である理由が分かりました。
摩利支天尊のことを全く知らずに生きてきた訳ですから・・・
▽r861 春の摩利支天

春 ⇒ 春の摩利支天 2014春爛漫
この辺は奥武蔵グリーンラインと呼ばれています。
これからの季節、奥武蔵グリーンラインはハイカー、自転車、トレイルランの人々で賑わってくると思います。
季節が進むにつれて、空気が澄み渡り、遠望の効く環境になります。
更に木々の色付く季節にもなっていきます。
「奥武蔵グリーン」は手軽に登れて体力や経験に合わせた多くのコースがあります。
沢山の人に歩いてもらいたいですね。
▽ 奥武蔵グリーンライン なす子さん作


◇お詫び 記事と現在の時差がだいぶ離れてきております。このペースで行くと3ヶ月や半年は開きがでそうです。
・・・最悪、雪が降る頃になって夏を書く、いや恥をカクのでしょう。
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▽670 南へ広がる山並み、奥武蔵グリーンラインからの展望

前回は⇒ 奥武蔵_顔振峠-飯能アルプス2015/08/14
雨宿りを兼ねて「顔振茶屋」にてユックリとさせてもらいました。
さて雨も上がってきましたので腰を上げ、帰ることにします。
帰りがけ、近くの「摩利支天」に寄ることにしました。
ここからの景色もなかなかのものなのです。
山並みが幾筋も見えます。遠くのほうは有間から奥多摩でしょう。
天気次第ですが、富士山や丹沢のほうまで見ることが出来ます。
手前から3列目に「修行の道・飯能アルプス」の山稜が見えます。
今この位置は奥武蔵グリーンラインです。
ここを南に下れば国道299号線と西武秩父線が高麗川に沿って北西から南東に走っています。
299号と高麗川、西武秩父線と渡れば飯能アルプスの大高山や天覚山への登山口取り付くことになります。
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▽669 墨絵の世界に浸っているようです。

▽672 霧の上がる風景に目を凝らします。

▽673 南の斜面に民家の屋根が見えます。

昨年、大雪の時には道が途絶えた期間もあり大変だったと思います。山の環境の中、それでも代々ここを護られて住まわれている・・・我々には分からないご苦労もあるのでしょうが、やはり「住めば都」なのでしょうね。
▽674 摩利支天

▽677 長沢地区「飯能市・吾野」

▽678 谷から霧が立ち上がり、見応え充分な時です。

▽682

▽683

▽684 霧が徐々に落ち着いてきました。

▽688 摩利支天

摩利支天(まりしてん)について、当然ながら知識はありません。
Webによると仏教の守護神で陽炎を神格化したと云われています。
数年前、摩利支天は別の山道で偶然に出合いました。
そのお社の清掃をされていた方の話で金運の神と聞いたことがあります。
生まれてから半世紀が過ぎています・・・私が金運に見放された人生である理由が分かりました。
摩利支天尊のことを全く知らずに生きてきた訳ですから・・・
▽r861 春の摩利支天

春 ⇒ 春の摩利支天 2014春爛漫
この辺は奥武蔵グリーンラインと呼ばれています。
これからの季節、奥武蔵グリーンラインはハイカー、自転車、トレイルランの人々で賑わってくると思います。
季節が進むにつれて、空気が澄み渡り、遠望の効く環境になります。
更に木々の色付く季節にもなっていきます。
「奥武蔵グリーン」は手軽に登れて体力や経験に合わせた多くのコースがあります。
沢山の人に歩いてもらいたいですね。
▽ 奥武蔵グリーンライン なす子さん作


◇お詫び 記事と現在の時差がだいぶ離れてきております。このペースで行くと3ヶ月や半年は開きがでそうです。
・・・最悪、雪が降る頃になって夏を書く、いや恥をカクのでしょう。
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2015/09/02 Wed.
奥武蔵_顔振峠-1雨に煙る飯能アルプス2015/08/14 
奥武蔵_顔振峠-1雨に煙る飯能アルプス2015/08/14
▽662 16:37

お盆休みのノッタリとした日の午後、それも5時近くに
あれっ、何でここにいるのだろうと・・・
理由は失念したのですが、ここは奥武蔵グリーンライン・顔振峠です。
(最近、物忘することにだいぶ自信を持てるようになってきました。
何事も自信を持てるようになるには経験の積み重ねですね?)
▽641

今となっては明確に憶えてないのですが、久し振りに山へお茶でも飲みにでも行こうかとなったのでしょう・・・恐らく
それで東吾野から登り、虎秀を経てグリーンラインに登ったところで空が怪しくなりポツン、ポツンと雨が・・・
▽642

慌てて顔振峠の「顔振茶屋」へ駆け込み、辛うじてずぶ濡れになるのを免れましたわ。
▽643 吾野採石場

▽644 顔振茶屋から南西・・・伊豆ヶ岳の方でしょうか。

天候の変化、山にかかる霧の様子を見ながら
「とろろそば」「いそべあげ」「みそおでん」などを戴く・・・
雨宿りを兼ねた良い時を過しました。
▽651

客は我々ともう一組、生憎の空模様に持て余したのか、
お店のご主人と女将さんが時折愛想良く話しかけてきます。
「これからね 西のあの辺の雲がこちらに迫ってきて夕立が来るよ 大概そうなんだ」
「そのあとに山が霧でいい風景になるから待ってて・・・」
「あら! そうですかあ 是非見たいですね」
そんな調子で・・・ここで既に何十年も店をやっているお話や
峠の古い写真や店の南に広がる山々の絵図を見せてもらいました。
奥武蔵、奥多摩の山々に霧がかかり、雲が流れて行きます。
商売を超えてと思うほど、お店のご主人は面白く楽しい方でした。
▽47L

▽652

▽47R

▽654

雨が上がり、霧に煙る飯能アルプス
▽655

▽656 17:01

目前に広がるのは手前から 飯能アルプス、名栗・有間方面、奥多摩・・・と、言っても霧でよく分からないのですが、
絵図と見比べても・・・やはり今日は難しいですね。
▽660

▽665

▽666

▽667 17:21

飯能アルプスが広がり、向こうには有間方面が・・・
刻々と移り変わる霧と雲、いつまでも飽きずに観ていられます。
ここは「顔振峠・顔振茶屋」の雨宿りです。
ご主人、お世話様でした。
たいした客ではないのに、だいぶ心配りをして戴きありがとうございました。
今夏の猛暑のせいにして、このところ楽なことばかりが続いています。
本当のところは急斜面を汗ダラダラ、呼吸ヒイヒイさせながら突き進むところが好きなのですが、
この暑さでは思うようにはいきません と、夏のせいにしておきます。
それでは秋になって涼しくなったら・・・
秋は紅葉を観ながらですからそんなに汗ダラダラではないでしょうね・・・紅葉のせい・・・
◇2013早春の顔振峠から⇒ 2013早春の顔振峠から
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▽662 16:37

お盆休みのノッタリとした日の午後、それも5時近くに
あれっ、何でここにいるのだろうと・・・
理由は失念したのですが、ここは奥武蔵グリーンライン・顔振峠です。
(最近、物忘することにだいぶ自信を持てるようになってきました。
何事も自信を持てるようになるには経験の積み重ねですね?)
▽641

今となっては明確に憶えてないのですが、久し振りに山へお茶でも飲みにでも行こうかとなったのでしょう・・・恐らく
それで東吾野から登り、虎秀を経てグリーンラインに登ったところで空が怪しくなりポツン、ポツンと雨が・・・
▽642

慌てて顔振峠の「顔振茶屋」へ駆け込み、辛うじてずぶ濡れになるのを免れましたわ。
▽643 吾野採石場

▽644 顔振茶屋から南西・・・伊豆ヶ岳の方でしょうか。

天候の変化、山にかかる霧の様子を見ながら
「とろろそば」「いそべあげ」「みそおでん」などを戴く・・・
雨宿りを兼ねた良い時を過しました。
▽651

客は我々ともう一組、生憎の空模様に持て余したのか、
お店のご主人と女将さんが時折愛想良く話しかけてきます。
「これからね 西のあの辺の雲がこちらに迫ってきて夕立が来るよ 大概そうなんだ」
「そのあとに山が霧でいい風景になるから待ってて・・・」
「あら! そうですかあ 是非見たいですね」
そんな調子で・・・ここで既に何十年も店をやっているお話や
峠の古い写真や店の南に広がる山々の絵図を見せてもらいました。
奥武蔵、奥多摩の山々に霧がかかり、雲が流れて行きます。
商売を超えてと思うほど、お店のご主人は面白く楽しい方でした。
▽47L

▽652

▽47R

▽654

雨が上がり、霧に煙る飯能アルプス
▽655

▽656 17:01

目前に広がるのは手前から 飯能アルプス、名栗・有間方面、奥多摩・・・と、言っても霧でよく分からないのですが、
絵図と見比べても・・・やはり今日は難しいですね。
▽660

▽665

▽666

▽667 17:21

飯能アルプスが広がり、向こうには有間方面が・・・
刻々と移り変わる霧と雲、いつまでも飽きずに観ていられます。
ここは「顔振峠・顔振茶屋」の雨宿りです。
ご主人、お世話様でした。
たいした客ではないのに、だいぶ心配りをして戴きありがとうございました。
今夏の猛暑のせいにして、このところ楽なことばかりが続いています。
本当のところは急斜面を汗ダラダラ、呼吸ヒイヒイさせながら突き進むところが好きなのですが、
この暑さでは思うようにはいきません と、夏のせいにしておきます。
それでは秋になって涼しくなったら・・・
秋は紅葉を観ながらですからそんなに汗ダラダラではないでしょうね・・・紅葉のせい・・・
◇2013早春の顔振峠から⇒ 2013早春の顔振峠から
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