好日奥武蔵 (奥武蔵の山人)
実践記 ウォーキング、トレッキング ノ ススメ...稚拙な好奇心...時折下手な工作
2016/02/25 Thu.
飯能、街の背景に日光の雪山が迫って・・・ 
飯能、街の背景に日光の雪山が迫って・・・
2016-02-07
▽741C 初めて見ました!!飯能の街に日光の雪山が迫っています!!

この山はなんと言うのでしょうか・・・
男体山(日光)でしょうか。
もしお分かりの方がいらっしゃいましたらお教え戴ければありがたいです。
ここは阿須・岩淵(飯能市)のチョットした山です。
それも標高僅か百数十m・・・正確なこの位置(阿須か岩淵)と標高は分かりません。
以前、高麗峠の手前(飯能側)で真っ白な冨士山を観た時も驚きましたが、
日光の雪山が見えるとはまるで宝くじにでも当たったような気分です・・・
いや実際のところ宝くじに当たったことは無いのですが。
▽741e 白根山でしょうか。方向的にはそう思えるのですが・・・

この場所には数回登ったことがあるのですが、今まで気が付きませんでした。
近眼のせいもあり、モチロン天候にもよるのでしょう。
それにしてもここから日光の雪山が見えるとは、これだから野山の迷走は止められません・・・
この感動をローコストで味わえるのですから・・・安上がりな人生です。
地元の方は良くご覧になるのでしょうか?
市内に永年住んでいますが全く日光の雪山が見えるとは聴いたことがありません。
▽730 阿須の交差点

所は阿須の交差点の近くから尾根に上がり、七国峠-笹仁田峠-塩船観音へと続く道の上で、
その東端から飯能市外を望んでいます。
▽732 西川古流誕生の地(車人形元祖)ここから登りました。

西川古流さんは偶然ですが「飯能検定」の試験問題にでました。
当時この近辺を迷走していたことが幸いしてその問いは〇でした。
▽734

数年前に植林されていた杉、桧の一部が伐採され、尾根を辿る道の北側が開放されました。
そのために飯能市街の南側から見ることが出来るようになったのです。
(伐採の理由は分かりませんが景観伐採とは異なる切り方です)
▽735

▽737

飯能市街を写す場合、天覧山や多峰主山などから撮ることが多く、位置関係から街の裏側から写すようになります。
▽740

どこか飯能の街を一望できて表側から観ることが出来ないか考えていたのですが、
この周辺の木が伐採されてご覧のように街を表側から観ることが出来るようになりました。
しかし伐採後の雑草、雑木の成育が以外に速く、せっかくの展望が閉ざされるのにそれほど期間は
かからないような気がします。前回登った時よりも確実に見難くなっています。
⇒ 阿須丘陵からの飯能市街眺望2012年6月
▽741 ここから白根山~男体山が見えていたのです。

▽741b トリミングして拡大してみると雪山が見えてきます。

▽741d 飯能・日高消防署の背景に雪の男体山が見えています。

2013年4月、ここからも同じ様に見えたのです。
⇒ 駒高-物見山―スカリ山-橋本山をゆく2
2012年2月
⇒ 棒ノ嶺からの日光連山2012年2月
▽742

▽743

▽744

▽745

▽747

▽R614 中央手前は多峰主山ですが、背景の山が分かりません。

左が越上山?
右は・・・全く分かりませんが双耳峰にも見えますが、当てずっぽうでスカリ山と観音ヶ岳
(この二座は近いので双耳峰に見えるかも知れないという推測ですがどうでしょうか)
▽R616

◇2016‐2‐7 前夜、未明から明け方にかけて降雪が少し有りました。
それで雪のムーミン谷にでも行ってみようかたと思い歩き始めたのが7日の9時頃、
雪明けの実に天気の良い日でした。
近辺の山々に薄っすらと纏っていた好天にて雪は呆気なく消え去りました。
◇当日のムーミン谷へ続きます。
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2016-02-07
▽741C 初めて見ました!!飯能の街に日光の雪山が迫っています!!

この山はなんと言うのでしょうか・・・
男体山(日光)でしょうか。
もしお分かりの方がいらっしゃいましたらお教え戴ければありがたいです。
ここは阿須・岩淵(飯能市)のチョットした山です。
それも標高僅か百数十m・・・正確なこの位置(阿須か岩淵)と標高は分かりません。
以前、高麗峠の手前(飯能側)で真っ白な冨士山を観た時も驚きましたが、
日光の雪山が見えるとはまるで宝くじにでも当たったような気分です・・・
いや実際のところ宝くじに当たったことは無いのですが。
▽741e 白根山でしょうか。方向的にはそう思えるのですが・・・

この場所には数回登ったことがあるのですが、今まで気が付きませんでした。
近眼のせいもあり、モチロン天候にもよるのでしょう。
それにしてもここから日光の雪山が見えるとは、これだから野山の迷走は止められません・・・
この感動をローコストで味わえるのですから・・・安上がりな人生です。
地元の方は良くご覧になるのでしょうか?
市内に永年住んでいますが全く日光の雪山が見えるとは聴いたことがありません。
▽730 阿須の交差点

所は阿須の交差点の近くから尾根に上がり、七国峠-笹仁田峠-塩船観音へと続く道の上で、
その東端から飯能市外を望んでいます。
▽732 西川古流誕生の地(車人形元祖)ここから登りました。

西川古流さんは偶然ですが「飯能検定」の試験問題にでました。
当時この近辺を迷走していたことが幸いしてその問いは〇でした。
▽734

数年前に植林されていた杉、桧の一部が伐採され、尾根を辿る道の北側が開放されました。
そのために飯能市街の南側から見ることが出来るようになったのです。
(伐採の理由は分かりませんが景観伐採とは異なる切り方です)
▽735

▽737

飯能市街を写す場合、天覧山や多峰主山などから撮ることが多く、位置関係から街の裏側から写すようになります。
▽740

どこか飯能の街を一望できて表側から観ることが出来ないか考えていたのですが、
この周辺の木が伐採されてご覧のように街を表側から観ることが出来るようになりました。
しかし伐採後の雑草、雑木の成育が以外に速く、せっかくの展望が閉ざされるのにそれほど期間は
かからないような気がします。前回登った時よりも確実に見難くなっています。
⇒ 阿須丘陵からの飯能市街眺望2012年6月
▽741 ここから白根山~男体山が見えていたのです。

▽741b トリミングして拡大してみると雪山が見えてきます。

▽741d 飯能・日高消防署の背景に雪の男体山が見えています。

2013年4月、ここからも同じ様に見えたのです。
⇒ 駒高-物見山―スカリ山-橋本山をゆく2
2012年2月
⇒ 棒ノ嶺からの日光連山2012年2月
▽742

▽743

▽744

▽745

▽747

▽R614 中央手前は多峰主山ですが、背景の山が分かりません。

左が越上山?
右は・・・全く分かりませんが双耳峰にも見えますが、当てずっぽうでスカリ山と観音ヶ岳
(この二座は近いので双耳峰に見えるかも知れないという推測ですがどうでしょうか)
▽R616

◇2016‐2‐7 前夜、未明から明け方にかけて降雪が少し有りました。
それで雪のムーミン谷にでも行ってみようかたと思い歩き始めたのが7日の9時頃、
雪明けの実に天気の良い日でした。
近辺の山々に薄っすらと纏っていた好天にて雪は呆気なく消え去りました。
◇当日のムーミン谷へ続きます。
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2016/02/20 Sat.
名栗川 冬景色を歩く-2 昭和の川沿い 
名栗川 冬景色を歩く-2 昭和の川沿い
2016/02/11
▽861 ノスタリジー 名栗川左岸 (飯能市大字飯能)

写真は本郷浄水場に関わる建物で昭和の頃のものだと思われます。
場所は飯能河原から左岸を川上に向かい、岩根橋の少し先の川沿いにあります。
◇前回に続き名栗川左岸の道を飯能河原から溯ってみます。
飯能河原の左岸の道はだいぶ古く、飯能の資料によれば江戸時代からあり、
明治時代からは新設されたり改修されたりしたようです。
前回は⇒ 名栗川 冬景色を歩く-1
飯能河原2014年1月⇒ 飯能河原2014年1月
▽805

▽806

▽808 両岸の建物を見ると

昭和の時代の中を歩いているような気持ちになります。
夏の川遊びは勿論のこと、昭和の中ごろまでの冬場には堰の上側(ボート場)に天然のスケート場がありました。
今とは気温も水量も相当違っていたと思われます。
▽810

▽811 昔はこの通りが原市場、名栗方面への

主要路であったようです。古き時代の雰囲気がだいぶ残っています。
この辺一帯は1700年台から始まったとされる「筏」による材木運搬のための中継地で、
筏師の休憩や宿泊の地としての賑わったようです。
▽812

▽814 左岸の建物から窓越しに見る「名栗川亭」もこの地域の昭和でしょうか。

▽815

▽816

▽818

▽820 「岩根橋」

▽821 岩根橋から上流を望むと微かに「龍崖山」が見えます。

▽823 岩根橋の直ぐ川上、左岸に脚長の小屋があります。

川の流量?水位?計測でもするのでしょうか?
▽827

岩根橋からの左岸の道は川縁に下って行きます。
ついでですから河原に入ってみます。
▽831 川下を見ると青い桁の岩根橋が見えます。

▽833

▽834 左岸の川沿いを更に進むと堰と魚道のようなものがありました。

▽845 堰の少し先、だいぶ古い建物が見えます。

本郷浄水場内にある前時代的な建物です。
永らく風雪にさらされたことを語るように、鉄部には錆び、壁には退色や滲みがみられます。
いつ頃に建てられたものなのでしょう。
現在使われているとは思えませんが、よく残されているものだと思います。
▽846

▽847

▽852

▽853 河原からこの階段の脇を通って進めそうですので行ってみます。

▽856

▽857

▽858 正面の道から見ると、窓の上部が半円になっていて

洋風建築が流行った良き時代のもののようです。
ここ迄残してあるのであれば、あと50年でも100年でも永きに亘り保全してもらいたいですね。
▽859

▽874 帰りがけの飯能河原(中央地区行政センターから)

◇飯能河原の川沿いの道は今も昭和の雰囲気が漂っているところです。
西川材の運搬が筏の時代から鉄道やトラック輸送に代わり、川沿いの道の北側に
大型車両が通れる道ができてから主要路としての役目は終わりました。
しかし川沿いの道はほぼ昔のままの位置取りで、
今も昭和レトロの面影を残しながら多くの川遊びの人々に利用されています。
◇子供の頃聴いた今は亡き祖母からの話です。
4代から5代前の祖先は筏に乗り材木を千住まで運んでいたようです。
季節の水量などによって4、5日かけて千住に着き、荷を問屋に渡して帰りは
2日ほどかけて歩いて帰って来たとのこと。
今、その子孫の私は「稚拙な好奇心」から筏の流路を辿っています。
フラフラと何日もかけて、いつ千住に着くかも分からず・・・
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2016/02/11
▽861 ノスタリジー 名栗川左岸 (飯能市大字飯能)

写真は本郷浄水場に関わる建物で昭和の頃のものだと思われます。
場所は飯能河原から左岸を川上に向かい、岩根橋の少し先の川沿いにあります。
◇前回に続き名栗川左岸の道を飯能河原から溯ってみます。
飯能河原の左岸の道はだいぶ古く、飯能の資料によれば江戸時代からあり、
明治時代からは新設されたり改修されたりしたようです。
前回は⇒ 名栗川 冬景色を歩く-1
飯能河原2014年1月⇒ 飯能河原2014年1月
▽805

▽806

▽808 両岸の建物を見ると

昭和の時代の中を歩いているような気持ちになります。
夏の川遊びは勿論のこと、昭和の中ごろまでの冬場には堰の上側(ボート場)に天然のスケート場がありました。
今とは気温も水量も相当違っていたと思われます。
▽810

▽811 昔はこの通りが原市場、名栗方面への

主要路であったようです。古き時代の雰囲気がだいぶ残っています。
この辺一帯は1700年台から始まったとされる「筏」による材木運搬のための中継地で、
筏師の休憩や宿泊の地としての賑わったようです。
▽812

▽814 左岸の建物から窓越しに見る「名栗川亭」もこの地域の昭和でしょうか。

▽815

▽816

▽818

▽820 「岩根橋」

▽821 岩根橋から上流を望むと微かに「龍崖山」が見えます。

▽823 岩根橋の直ぐ川上、左岸に脚長の小屋があります。

川の流量?水位?計測でもするのでしょうか?
▽827

岩根橋からの左岸の道は川縁に下って行きます。
ついでですから河原に入ってみます。
▽831 川下を見ると青い桁の岩根橋が見えます。

▽833

▽834 左岸の川沿いを更に進むと堰と魚道のようなものがありました。

▽845 堰の少し先、だいぶ古い建物が見えます。

本郷浄水場内にある前時代的な建物です。
永らく風雪にさらされたことを語るように、鉄部には錆び、壁には退色や滲みがみられます。
いつ頃に建てられたものなのでしょう。
現在使われているとは思えませんが、よく残されているものだと思います。
▽846

▽847

▽852

▽853 河原からこの階段の脇を通って進めそうですので行ってみます。

▽856

▽857

▽858 正面の道から見ると、窓の上部が半円になっていて

洋風建築が流行った良き時代のもののようです。
ここ迄残してあるのであれば、あと50年でも100年でも永きに亘り保全してもらいたいですね。
▽859

▽874 帰りがけの飯能河原(中央地区行政センターから)

◇飯能河原の川沿いの道は今も昭和の雰囲気が漂っているところです。
西川材の運搬が筏の時代から鉄道やトラック輸送に代わり、川沿いの道の北側に
大型車両が通れる道ができてから主要路としての役目は終わりました。
しかし川沿いの道はほぼ昔のままの位置取りで、
今も昭和レトロの面影を残しながら多くの川遊びの人々に利用されています。
◇子供の頃聴いた今は亡き祖母からの話です。
4代から5代前の祖先は筏に乗り材木を千住まで運んでいたようです。
季節の水量などによって4、5日かけて千住に着き、荷を問屋に渡して帰りは
2日ほどかけて歩いて帰って来たとのこと。
今、その子孫の私は「稚拙な好奇心」から筏の流路を辿っています。
フラフラと何日もかけて、いつ千住に着くかも分からず・・・
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Posted on 21:07 [edit]
category: 名栗川 入間川 その他の河川 湖沼
2016/02/15 Mon.
名栗川 冬景色を歩く-1矢久橋から飯能河原 
名栗川 冬景色を歩く-1矢久橋から飯能河原
・・・ 2016/02/11
▽763 名栗川・・・飯能大橋の少し上流、中洲から

対岸は稲荷町(左岸)両岸とも緑の保全地域になっているようです。
◇諸事(大したことはない)の合間を縫って飯能大橋から名栗川沿いを遡ってみました。
今回さまよった所:飯能大橋~飯能河原~岩根橋~本郷浄水場
▽748 飯能大橋の裏面

▽750 矢久橋、飯能大橋の直ぐ上流側

◇矢久橋:矢颪(やおろし・右岸)-久下(左岸)に架けられている橋で、飯能大橋のすぐ川上側に架かっています。
矢久橋は飯能大橋が出来るまで名栗川の両岸を渡す重要な役目を果たしていました。
(飯能大橋は美杉台地区の街開きに合わせて開通し既に二十余年を経ている)
この付近は昔から大雨の度に堰、堤防、橋の被害が出ていたようです。
飯能災害史によると近年では1959年伊勢湾台風によって矢久橋が沈下、
1961年の集中豪雨では矢久橋に甚大な被害があったと記されています。
また橋のたもとの石碑には当時の被害と今の永久橋になるまでの経緯が記されています。
私はだいぶ前(五十年以上前)山の中から祖母に連れられて毘沙門様のダルマ市に来たことがあります。
その時の矢久橋は木製でもっと低い橋だったような気がしたのですが・・・
本当のところはどうだったの、既に記憶が薄れかけています。
▽751

▽752

▽753 この中州に入れそうなので行ってみます。

▽754 矢久橋の上流側、右岸から中州に廻ります。

▽755 この日(2月11日)の名栗川は水量がだいぶ少ないですね。

▽756 水量が少ないので堰用のブロックの上を歩いて中洲に

▽758

▽760

▽761 水量が減ったのと砂がたまり、そのうちに木が生えてきそうです。

▽762

▽764 左岸の欅が川面に綺麗に映っています。

▽767

▽774 橋に戻るのもなんですから、右岸の斜面を登って車道に出ます。

▽778

▽780

▽786 右岸の道路から遡り、割岩橋へ

▽787

▽788

▽789 割岩橋から川上の飯能河原を見ると・・・

▽791 橋へ来ると、どうしてもこんな所へ下りてしまいます。

▽793

▽796

▽797 割岩橋の下から飯能河原へ

▽801 一番上が板張り、下へ観客席のような造りになっています。花火大会などにでも利用するのでしょうか?

▽802

▽803

◇所々に梅の香が漂い、例年にないような暖かい日が続いています。
この調子では雪が降らずに本格的な春になってしまいそうです・・・気候の温暖化が心配ですね。
なかなか山歩きの機会がとれず、最近は川人に改名したらどう・・・
なんて言われるのをグッと堪え、過ぎる冬の日を見送っています。
◇870 飯能ひな飾り展 2月16日から3月6日

会場:飯能市郷土館 市内商店街各店舗 個人店舗 個人宅 市内各公共施設
市内(原市場・中藤・南高麗・名栗・吾野他)の各所
飯能ひな飾り展・各開催地・地図などの概要は次を御覧ください。
⇒http://www.hanno-cci.org/category17_5.html
郷土館は2月21日から3月6日、その他の会場は開催日をご確認後においでください。
◇名栗川、冬景色を歩く-2に続きます。
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・・・ 2016/02/11
▽763 名栗川・・・飯能大橋の少し上流、中洲から

対岸は稲荷町(左岸)両岸とも緑の保全地域になっているようです。
◇諸事(大したことはない)の合間を縫って飯能大橋から名栗川沿いを遡ってみました。
今回さまよった所:飯能大橋~飯能河原~岩根橋~本郷浄水場
▽748 飯能大橋の裏面

▽750 矢久橋、飯能大橋の直ぐ上流側

◇矢久橋:矢颪(やおろし・右岸)-久下(左岸)に架けられている橋で、飯能大橋のすぐ川上側に架かっています。
矢久橋は飯能大橋が出来るまで名栗川の両岸を渡す重要な役目を果たしていました。
(飯能大橋は美杉台地区の街開きに合わせて開通し既に二十余年を経ている)
この付近は昔から大雨の度に堰、堤防、橋の被害が出ていたようです。
飯能災害史によると近年では1959年伊勢湾台風によって矢久橋が沈下、
1961年の集中豪雨では矢久橋に甚大な被害があったと記されています。
また橋のたもとの石碑には当時の被害と今の永久橋になるまでの経緯が記されています。
私はだいぶ前(五十年以上前)山の中から祖母に連れられて毘沙門様のダルマ市に来たことがあります。
その時の矢久橋は木製でもっと低い橋だったような気がしたのですが・・・
本当のところはどうだったの、既に記憶が薄れかけています。
▽751

▽752

▽753 この中州に入れそうなので行ってみます。

▽754 矢久橋の上流側、右岸から中州に廻ります。

▽755 この日(2月11日)の名栗川は水量がだいぶ少ないですね。

▽756 水量が少ないので堰用のブロックの上を歩いて中洲に

▽758

▽760

▽761 水量が減ったのと砂がたまり、そのうちに木が生えてきそうです。

▽762

▽764 左岸の欅が川面に綺麗に映っています。

▽767

▽774 橋に戻るのもなんですから、右岸の斜面を登って車道に出ます。

▽778

▽780

▽786 右岸の道路から遡り、割岩橋へ

▽787

▽788

▽789 割岩橋から川上の飯能河原を見ると・・・

▽791 橋へ来ると、どうしてもこんな所へ下りてしまいます。

▽793

▽796

▽797 割岩橋の下から飯能河原へ

▽801 一番上が板張り、下へ観客席のような造りになっています。花火大会などにでも利用するのでしょうか?

▽802

▽803

◇所々に梅の香が漂い、例年にないような暖かい日が続いています。
この調子では雪が降らずに本格的な春になってしまいそうです・・・気候の温暖化が心配ですね。
なかなか山歩きの機会がとれず、最近は川人に改名したらどう・・・
なんて言われるのをグッと堪え、過ぎる冬の日を見送っています。
◇870 飯能ひな飾り展 2月16日から3月6日

会場:飯能市郷土館 市内商店街各店舗 個人店舗 個人宅 市内各公共施設
市内(原市場・中藤・南高麗・名栗・吾野他)の各所
飯能ひな飾り展・各開催地・地図などの概要は次を御覧ください。
⇒http://www.hanno-cci.org/category17_5.html
郷土館は2月21日から3月6日、その他の会場は開催日をご確認後においでください。
◇名栗川、冬景色を歩く-2に続きます。
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Posted on 00:49 [edit]
category: 名栗川 入間川 その他の河川 湖沼
2016/02/10 Wed.
高麗川から白銀平 
高麗川から白銀平
2015 01 31
▽R459 太平洋セメントの工場・・・白銀平(展望台)から

前回は⇒ 高麗川沿いを さまよってみる
▽567 高麗川(高麗神社の下流)

高麗川、新井橋―獅子岩橋をさまよったあと高麗神社をスルーして白銀平に向かいます。
途中、川が90度に曲がるような所がありました。川岸に下りてみます。
▽569

▽570

▽572 下流に見える橋を以前から不思議に思っていたのですが・・・

◇この壁と屋根に囲まれている橋のようなものは、国土地理院の地図によると
「武甲鉱業ベルトコンベャー」と記されています。
武甲山から日高市のセメント工場まで石灰岩を運んでいたようです。
【ベルトコンベアーの経路】
武甲山=横瀬町=二子山の南=八徳=顔振峠の北=越上山の南=鎌北湖の南=高麗川を渡る=太平洋セメント工場
(現在は使用されてないようです)
▽574

▽576
・・・
高麗川縁を離れ西にある白銀平に向かいます。
・・・
▽604 車一台分の通れる道を暫く行くと

▽605

▽614

▽580

▽581

▽582 この先のようですね。

▽584 視界が開けてきました。

▽585 展望台のようです。

▽588 上は広くはありませんが、360度の視界です。

▽590 残念ながら曇天で景色にクッキリ感がありません。

写真に詳しい方はこんな天気でもそれなりの設定で綺麗に撮るのでしょうが、
ただシャッターを押して無駄撮りを得意としている私が撮るとこんなものです(笑)
▽591

▽592

▽593

▽595

▽R458 白銀平(展望台)から

鉄塔がこれほど密集しているところを(私は)見たことがありません。
小さいのを含めると50基・・・(数えかたは基でよいのでしょうか?)この展望台から見るとこの写真に入ってないものも多数ありますから、はたして何基あるのでしょうか・・・それにしても数が凄いです。
▽R59a 太平洋セメントの工場です。このどっしりとした重厚感が良いですね。

・・・572のベルトコンベアーはここ迄繋がっているのでしょうか。今ベルトコンベアーは動いていないようです。
▽R61

▽603 白銀平の説明板

◇この「白銀平」の命名理由を知るまでは、雪とか銀にかかわる所かと思っていました。
しかしここにはそんな雰囲気など微塵も無く、何で白銀なのだろうと疑問を持っていたのです。
アセビの白い花・・・そう言う事だったのですね。
◇標高は195mとそれ程でもないのですが、良い位置取りなのでしょう見通しの良さはなかなかのものです。
ここはまた夜景スポットとしても有名なのですが、低いとはいえ山の中、照明は無くそれこそ夜間は真っ暗闇の
状態だと思われます。
もし行かれるのであれば明るいうちに行かれたほうがよさそうです。
夜景は近くの日高市、川越市、狭山市、入間市、所沢市から、
更にさいたま市、東京まで見えるようです。
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2015 01 31
▽R459 太平洋セメントの工場・・・白銀平(展望台)から

前回は⇒ 高麗川沿いを さまよってみる
▽567 高麗川(高麗神社の下流)

高麗川、新井橋―獅子岩橋をさまよったあと高麗神社をスルーして白銀平に向かいます。
途中、川が90度に曲がるような所がありました。川岸に下りてみます。
▽569

▽570

▽572 下流に見える橋を以前から不思議に思っていたのですが・・・

◇この壁と屋根に囲まれている橋のようなものは、国土地理院の地図によると
「武甲鉱業ベルトコンベャー」と記されています。
武甲山から日高市のセメント工場まで石灰岩を運んでいたようです。
【ベルトコンベアーの経路】
武甲山=横瀬町=二子山の南=八徳=顔振峠の北=越上山の南=鎌北湖の南=高麗川を渡る=太平洋セメント工場
(現在は使用されてないようです)
▽574

▽576
・・・
高麗川縁を離れ西にある白銀平に向かいます。
・・・
▽604 車一台分の通れる道を暫く行くと

▽605

▽614

▽580

▽581

▽582 この先のようですね。

▽584 視界が開けてきました。

▽585 展望台のようです。

▽588 上は広くはありませんが、360度の視界です。

▽590 残念ながら曇天で景色にクッキリ感がありません。

写真に詳しい方はこんな天気でもそれなりの設定で綺麗に撮るのでしょうが、
ただシャッターを押して無駄撮りを得意としている私が撮るとこんなものです(笑)
▽591

▽592

▽593

▽595

▽R458 白銀平(展望台)から

鉄塔がこれほど密集しているところを(私は)見たことがありません。
小さいのを含めると50基・・・(数えかたは基でよいのでしょうか?)この展望台から見るとこの写真に入ってないものも多数ありますから、はたして何基あるのでしょうか・・・それにしても数が凄いです。
▽R59a 太平洋セメントの工場です。このどっしりとした重厚感が良いですね。

・・・572のベルトコンベアーはここ迄繋がっているのでしょうか。今ベルトコンベアーは動いていないようです。
▽R61

▽603 白銀平の説明板

◇この「白銀平」の命名理由を知るまでは、雪とか銀にかかわる所かと思っていました。
しかしここにはそんな雰囲気など微塵も無く、何で白銀なのだろうと疑問を持っていたのです。
アセビの白い花・・・そう言う事だったのですね。
◇標高は195mとそれ程でもないのですが、良い位置取りなのでしょう見通しの良さはなかなかのものです。
ここはまた夜景スポットとしても有名なのですが、低いとはいえ山の中、照明は無くそれこそ夜間は真っ暗闇の
状態だと思われます。
もし行かれるのであれば明るいうちに行かれたほうがよさそうです。
夜景は近くの日高市、川越市、狭山市、入間市、所沢市から、
更にさいたま市、東京まで見えるようです。
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Posted on 02:26 [edit]
category: 名栗川 入間川 その他の河川 湖沼
2016/02/05 Fri.
高麗川沿いを さまよってみる 
高麗川沿いを さまよってみる
2016/01/31
▽553 日高市:清流・高麗川

流れは清く澄みわたる
岸辺にはケヤキが立ち分けて並び
水は軽やかな足取りで瀬を打ちながら下る
時折しぶきが跳ねてキラッと光る
高麗川は明るい陽射を浴びて
春をそこまで引き寄せる
里山と云う言葉があります・・・
それならば、里川と云う言葉も有って良さそうです。
ここは清流・高麗川、獅子岩橋の直ぐ下流右岸です。
仮に里川という言い方があればこんな感じでどうでしょうか。
里川として充分な風情が備わっているように見えるのです。
勿論、里山、里川はそれぞれの人の生まれ育った処のイメージもあるし、
日々の暮らしの中での山や川との関わり合いもあるでしょうが・・・
◇さまよったところ:聖天院の南東、獅子岩橋、新井橋(通称ガタガタ橋)、高麗川、白銀平
▽519 高麗川の獅子岩橋から

左岸を下るとほどなくして木製の板を敷いた狭い橋に当ります。
▽520 新井橋を渡り左岸から右岸に行くと

川原に下りられそうなのでおりてみます。
▽523 新井橋は通称はガタガタ橋と云われているようです。

当方、高麗川の橋は殆んど分からず、どこかに橋名板でもないかと探したのですが見つかりません。
たまたま散歩中の年配の方に橋名をお尋ねしたところ
「この辺では通称、ガタガタ橋と呼んでいる」と教えて戴きました。
橋を渡るときに板がガタガタと音をたてるのでそう云っているとのこと。
後日、調べたところ橋名は「新井橋」でした・・・この辺の地名から付けたようです。
▽525

▽529

▽530 新井橋・・・川下から川上を見る

ここから見ると、すっきりとした欄干を持ち清流高麗川の風景に上手く馴染んでいます。
右側は日高市新井、左側は日高市野々宮
▽531

▽532

▽535 日高市野々宮、高麗川・右岸

橋脚の残物・・・以前、ここに橋があったのでしょうか。
新井橋の下流、100m程のところに橋脚らしき構造物が1基残されています。
▽536

▽537

▽538

▽540 既に梅が開花しています。

やはり暖冬の影響なのでしょうか、いつもの冬よりも早いような気がします。
背景には柚子が黄色くなっています。
▽541 新井橋から獅子岩橋の近くに戻ります。

▽542 「志 、いわはし」と書かれていますが、

読めず・・・近くを通りかかった人にお聴きしたところ
「ししいわはし」と教えて戴きました。この橋の上流側に獅子に似た岩があり、
それで「獅子岩橋」となったようです。
ここで部外者の疑問です。「志 、」で獅子とは全く読めなかったです。
▽543 「ししいわはし」

▽544 「ししいわはし」から上流をみる

▽547 「ししいわはし」から下流にまわる

▽548

▽549

▽550

▽554

▽557 「ししいわはし」再び上流側に移動

◇1月30日からの降雪予報が外れ、31日は穏やかで暖かめの日曜日でした。
じつは雪が降ったら「ウノタワ」に登ろうと思っていたのです。
しかし一昨日は雨で取り止めとなりました。思惑が狂い、ぼんやりとした日を迎えて
何と無く近場を適当に歩こうかなんて思い・・・
何の気なしにWebを見ていると「日高市・白銀平?」・・・展望が良いと記されています。
地図を見るとここは高麗神社の先、以前タブの木を探しに行ったところの近くのようです。
◇続く・・・高麗川沿いから白銀平へ
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2016/01/31
▽553 日高市:清流・高麗川

流れは清く澄みわたる
岸辺にはケヤキが立ち分けて並び
水は軽やかな足取りで瀬を打ちながら下る
時折しぶきが跳ねてキラッと光る
高麗川は明るい陽射を浴びて
春をそこまで引き寄せる
里山と云う言葉があります・・・
それならば、里川と云う言葉も有って良さそうです。
ここは清流・高麗川、獅子岩橋の直ぐ下流右岸です。
仮に里川という言い方があればこんな感じでどうでしょうか。
里川として充分な風情が備わっているように見えるのです。
勿論、里山、里川はそれぞれの人の生まれ育った処のイメージもあるし、
日々の暮らしの中での山や川との関わり合いもあるでしょうが・・・
◇さまよったところ:聖天院の南東、獅子岩橋、新井橋(通称ガタガタ橋)、高麗川、白銀平
▽519 高麗川の獅子岩橋から

左岸を下るとほどなくして木製の板を敷いた狭い橋に当ります。
▽520 新井橋を渡り左岸から右岸に行くと

川原に下りられそうなのでおりてみます。
▽523 新井橋は通称はガタガタ橋と云われているようです。

当方、高麗川の橋は殆んど分からず、どこかに橋名板でもないかと探したのですが見つかりません。
たまたま散歩中の年配の方に橋名をお尋ねしたところ
「この辺では通称、ガタガタ橋と呼んでいる」と教えて戴きました。
橋を渡るときに板がガタガタと音をたてるのでそう云っているとのこと。
後日、調べたところ橋名は「新井橋」でした・・・この辺の地名から付けたようです。
▽525

▽529

▽530 新井橋・・・川下から川上を見る

ここから見ると、すっきりとした欄干を持ち清流高麗川の風景に上手く馴染んでいます。
右側は日高市新井、左側は日高市野々宮
▽531

▽532

▽535 日高市野々宮、高麗川・右岸

橋脚の残物・・・以前、ここに橋があったのでしょうか。
新井橋の下流、100m程のところに橋脚らしき構造物が1基残されています。
▽536

▽537

▽538

▽540 既に梅が開花しています。

やはり暖冬の影響なのでしょうか、いつもの冬よりも早いような気がします。
背景には柚子が黄色くなっています。
▽541 新井橋から獅子岩橋の近くに戻ります。

▽542 「志 、いわはし」と書かれていますが、

読めず・・・近くを通りかかった人にお聴きしたところ
「ししいわはし」と教えて戴きました。この橋の上流側に獅子に似た岩があり、
それで「獅子岩橋」となったようです。
ここで部外者の疑問です。「志 、」で獅子とは全く読めなかったです。
▽543 「ししいわはし」

▽544 「ししいわはし」から上流をみる

▽547 「ししいわはし」から下流にまわる

▽548

▽549

▽550

▽554

▽557 「ししいわはし」再び上流側に移動

◇1月30日からの降雪予報が外れ、31日は穏やかで暖かめの日曜日でした。
じつは雪が降ったら「ウノタワ」に登ろうと思っていたのです。
しかし一昨日は雨で取り止めとなりました。思惑が狂い、ぼんやりとした日を迎えて
何と無く近場を適当に歩こうかなんて思い・・・
何の気なしにWebを見ていると「日高市・白銀平?」・・・展望が良いと記されています。
地図を見るとここは高麗神社の先、以前タブの木を探しに行ったところの近くのようです。
◇続く・・・高麗川沿いから白銀平へ
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Posted on 01:23 [edit]
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