好日奥武蔵 (奥武蔵の山人)
実践記 ウォーキング、トレッキング ノ ススメ...稚拙な好奇心...時折下手な工作
2016/08/25 Thu.
野辺山宇宙電波観測所をさまよう-2 天文から疑術者へ(終回) 
野辺山宇宙電波観測所をさまよう-2 天文から疑術者へ(終回)
2016/08/13 16:00~
907 向日葵の(ライン) ダンサーを従えて ミリ波計

-1からの続きです。
-1は⇒ 野辺山宇宙電波観測所をさまよう-1幼い頃の夢の入り混じり
前回は「電戯疑術者」みたいなことでした。
その続きです。
私の場合は日本の発展にも勤務先の会社にも何にも貢献していませんでした。
貢献するだけの基礎能力が無かったということですね。
まあ、なんて言うのでしょうか、物理なのか化学なのか・・・図形処理なのかそんな感じでした。
いずれも基礎能力欠如でしたから難しいこたあ出来ません。
890 45m電波望遠鏡

当時は最先端の世界のわりには泥臭い仕事(遊び)でした。
一畳ほどの図面に半導体NP素子(トランジスタを何千個も配置して)配線する。
(直ぐそれが半導体の技術の急速な進歩で四畳半とか六畳位の大きさになる)何でそんなに図面が大きいかと言うと、当時の半導体チップはTTLロジックからMOS- CPU、メモリなど0.数㎜から数㎜角なのですが、その中にトランジスタを数百個から何十万個(今は数百万個~)も作るために数百倍から1000倍位の図面にしないと描ききれない。
トランジスタ素子の構造や配線を描ききれないわけです。チップ自体は薄い半導体の平面なのですが、PNの選択拡散を繰り返し、薄い半導体の中にP/N層を形成するために断面は立体構造になっています・・・わかりにくいですね。
木の年輪、同心円を半分に切って半円にした感じで、P/Nの年輪のような層が出来ます。
その層に電極を付ければトランジスタの原理になります。いやあ何だか訳が分からなくなってきましたが、
EDAなど無い時代ですから、そんな図面を鉛筆と定規、消しゴム、で何枚も描いていました。
いやデッチあげていました。
893

私が描いていたICは当時、産業の螺子・釘と言われているような基本ロジックのIC(演算、デコー・・・など)でしたので大量生産です。多くの機器に実装されていました。一般の方々は知らずのうちに怪しい疑術者のICを使っていたはずです。
894 ここでは親しみを込めて「よんごー」と呼んでいるそうです。

お椀が上を向いたこのような常態が一番安定して、休んでいる状態だそうです。
◇1000倍・・・例えば1mm角のチップの設計をするとそのころの回路素子・トランジスタは0.05mmと0.01mmのメタル配線・・・これをそのまま鉛筆で描くことは不可能なので、1000倍位にして作図をします。
チップの1mmは図面では1000mm(1m)になってしまうのです。
現在は半導体の加工処理や設計技術が飛躍的に進み、桁違の回路数を数ミリチップ内に入れることが出来ます。
しかしそれを紙と鉛筆、定規を使って作図しようとすると何十mにもなりとても処理出来ません。
30m先まで消しゴムを持って修正に行けません。
895

30mの直線を鉛筆で描いてみてください。足、腰、肩、腕への負担はどれほどのことか、お分かりいただけると思います。
鉛筆一本で30mの線を何本引けるのでしょう。もちろん作図だけの問題では無いのですが。
さすがに現在は紙と鉛筆というワケにはいきません。
専用のEDAシステムの運用によって設計、シミュレーション、加工、検査など半導体製品の製造から品質管理まで総合的に制御、処理されているはずです。
896

898

ここで、誤・ご・御注意、当文中には疑術者だけに許されるいい加減さが混ざっています。
900

925DIP だいぶ前のIC・・・ムカデがひっくり返ったようなものが基本ロジックICです。

演算する回路自体は0.4mm角くらいのチップなのですが、それでは小さすぎるので人が扱い易い大きさにしています。(外装約6x20mm、足のピッチ0.1インチ)
901

903

◇以前の1000倍で設計図を描いとします。それでは1mm角のチップの現物はどうやって作ったのと言う疑問が涌いてきます。
伸縮の少ないフィルムに転写する職人の方によって1000倍のフィルム上に正確に図形を転写します。
実際には巨大なポリエステルベースの剥離紙をXYに正確に移動できる刃を持ったプロッタ(道具を使いこなすカットマン・職人さんがいて)で剥離できる部分と残す部分に分けてカットしていき図面から原版の元を作っていったのです。
気の抜けない作業が何日も続く気の遠くなる作業です。
紙の図面からフイルムベースの原版に写し採ったものを精密カメラによって第一次リダクション処理をします。
精密カメラって云って、その大きさは20畳くらいの部屋の大きさです。
そこで1/100くらいまで縮写し「レチクル=1次縮写された原版」を作ります。
更に現物のチップを作るために原寸の原版を作ります。ステッパーという超精密光学機器です。
904 電波望遠鏡を移動させる時に使う鉄路

ステッパーはレチクルを更に1/10に縮写(ここで現物サイズ)しながら碁盤の目のようにチップサイズを並べていくのです。
シリコンウェーハと呼ばれる半導体回路の基材のサイズに合わせて径4インチ(インチ=25.4mm)とか6、8、12インチ・・・とかに合わせて縦横にチップを並べます。
これがいよいよ半導体回路を作るためのフォトマスク、原版になるのです。
905

以前はこれらの先端技術や工業用の精密機器はドイツが得意でした。私が疑術者だったころは要の装置はドイツ製でした。
今は全般的に日本製が強いですね。理論だけでは成し得ない最後の詰めを日本人特有の生真面目な職人が仕上げる・・・
当時疑術者が使っていた装置は一基N億円もしました。ですからそれなりの投資の出来るメーカで無いと半導体の製造に関われなかったはずです。
実際には水、空気の確保から光学、化学の処理ラインを構築する等に果たしていくら、何百億(今では何千億)の投資が必要だったでしょう。
それに半導体の発展が極めて速く、直ぐに機器・装置は陳腐化し、常に最新の設備が求められていました。
半導体技術の急速な発展でそれを使用した電子機器が一般の家庭に普及し始め、売り上げは急拡大した時期でした。
しかし技術者の育成、設備資金・・・諸々、工場の運営は大変だったと思います。
909

日本人は光学的処理、精密機器の製造が得意です。
更にそれを仕様以上に使いこなす技術職人の日夜の研鑽によって高品質の半導体集積回路が作られていったのです。
924QFP

時は電子立国日本の黎明期です。
1991年、NHKスペシャル「電子立国日本の自叙伝」と言う番組が何回かに分けて放送されていました。
疑術者はその中で国内の電卓戦争が勃発した頃の話です。
910

912

それで、なんでしたかね・・・
そうそう、「天文学者」になる夢が「電戯疑術者」になったのでした。
のちにプラネタリウムの会社さんと仕事のでお付き合いがありました。
天文学の夢をみた幼いころのことを想いながら、打ち合わせをしたものです・・・と、いうより装置の話とか、天文のこととかをただ好奇心的にお教え戴いただけです。それもだいぶ時が過ぎ記憶は頭髪の如く薄れ、光源部のユニットが故障してご迷惑をかけた・・・そんなことしか憶えてないなあという感じです。
914

毎度のことですが、支離滅裂で何のことだか分かりません。何処に行こうとしているのかも・・・めちゃくちゃな話です。
少しは天文学に関わったこともあったことが走馬灯の如く脳裏を巡りながら、
たまたま今回、この野辺山の地をさまよう機会があったのでした。
◇日本はプラネタリウムでは最先端の国です。
光学、精密な制御、コンテンツの製作、どれも日本が得意とする分野で、それが生かされているのでしょう。
http://www.konicaminolta.jp/planetarium/index.html
http://www.goto.co.jp/about/
日本には世界のシェア1位と2位のメーカが存在します。もちろん国内でもこの2社が他社を寄せ付けず、
事実上は3位があって無いようなそんな感じです。
最近のプラネタリウムはハードもソフトも大変進歩し、素晴らしい映像を楽しめるようになりました。
宇宙とか星とかに興味のある方はもちろん、一般の若い方も行かれるようです。
まだの方は是非見てほしいですね・・・
そう言う自分は、随分昔に一回見ただけですが・・・
稚拙な内容のものを辛抱強くご覧戴きましてありがとうございました。
おわり
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2016/08/13 16:00~
907 向日葵の(ライン) ダンサーを従えて ミリ波計

-1からの続きです。
-1は⇒ 野辺山宇宙電波観測所をさまよう-1幼い頃の夢の入り混じり
前回は「電戯疑術者」みたいなことでした。
その続きです。
私の場合は日本の発展にも勤務先の会社にも何にも貢献していませんでした。
貢献するだけの基礎能力が無かったということですね。
まあ、なんて言うのでしょうか、物理なのか化学なのか・・・図形処理なのかそんな感じでした。
いずれも基礎能力欠如でしたから難しいこたあ出来ません。
890 45m電波望遠鏡

当時は最先端の世界のわりには泥臭い仕事(遊び)でした。
一畳ほどの図面に半導体NP素子(トランジスタを何千個も配置して)配線する。
(直ぐそれが半導体の技術の急速な進歩で四畳半とか六畳位の大きさになる)何でそんなに図面が大きいかと言うと、当時の半導体チップはTTLロジックからMOS- CPU、メモリなど0.数㎜から数㎜角なのですが、その中にトランジスタを数百個から何十万個(今は数百万個~)も作るために数百倍から1000倍位の図面にしないと描ききれない。
トランジスタ素子の構造や配線を描ききれないわけです。チップ自体は薄い半導体の平面なのですが、PNの選択拡散を繰り返し、薄い半導体の中にP/N層を形成するために断面は立体構造になっています・・・わかりにくいですね。
木の年輪、同心円を半分に切って半円にした感じで、P/Nの年輪のような層が出来ます。
その層に電極を付ければトランジスタの原理になります。いやあ何だか訳が分からなくなってきましたが、
EDAなど無い時代ですから、そんな図面を鉛筆と定規、消しゴム、で何枚も描いていました。
いやデッチあげていました。
893

私が描いていたICは当時、産業の螺子・釘と言われているような基本ロジックのIC(演算、デコー・・・など)でしたので大量生産です。多くの機器に実装されていました。一般の方々は知らずのうちに怪しい疑術者のICを使っていたはずです。
894 ここでは親しみを込めて「よんごー」と呼んでいるそうです。

お椀が上を向いたこのような常態が一番安定して、休んでいる状態だそうです。
◇1000倍・・・例えば1mm角のチップの設計をするとそのころの回路素子・トランジスタは0.05mmと0.01mmのメタル配線・・・これをそのまま鉛筆で描くことは不可能なので、1000倍位にして作図をします。
チップの1mmは図面では1000mm(1m)になってしまうのです。
現在は半導体の加工処理や設計技術が飛躍的に進み、桁違の回路数を数ミリチップ内に入れることが出来ます。
しかしそれを紙と鉛筆、定規を使って作図しようとすると何十mにもなりとても処理出来ません。
30m先まで消しゴムを持って修正に行けません。
895

30mの直線を鉛筆で描いてみてください。足、腰、肩、腕への負担はどれほどのことか、お分かりいただけると思います。
鉛筆一本で30mの線を何本引けるのでしょう。もちろん作図だけの問題では無いのですが。
さすがに現在は紙と鉛筆というワケにはいきません。
専用のEDAシステムの運用によって設計、シミュレーション、加工、検査など半導体製品の製造から品質管理まで総合的に制御、処理されているはずです。
896

898

ここで、誤・ご・御注意、当文中には疑術者だけに許されるいい加減さが混ざっています。
900

925DIP だいぶ前のIC・・・ムカデがひっくり返ったようなものが基本ロジックICです。

演算する回路自体は0.4mm角くらいのチップなのですが、それでは小さすぎるので人が扱い易い大きさにしています。(外装約6x20mm、足のピッチ0.1インチ)
901

903

◇以前の1000倍で設計図を描いとします。それでは1mm角のチップの現物はどうやって作ったのと言う疑問が涌いてきます。
伸縮の少ないフィルムに転写する職人の方によって1000倍のフィルム上に正確に図形を転写します。
実際には巨大なポリエステルベースの剥離紙をXYに正確に移動できる刃を持ったプロッタ(道具を使いこなすカットマン・職人さんがいて)で剥離できる部分と残す部分に分けてカットしていき図面から原版の元を作っていったのです。
気の抜けない作業が何日も続く気の遠くなる作業です。
紙の図面からフイルムベースの原版に写し採ったものを精密カメラによって第一次リダクション処理をします。
精密カメラって云って、その大きさは20畳くらいの部屋の大きさです。
そこで1/100くらいまで縮写し「レチクル=1次縮写された原版」を作ります。
更に現物のチップを作るために原寸の原版を作ります。ステッパーという超精密光学機器です。
904 電波望遠鏡を移動させる時に使う鉄路

ステッパーはレチクルを更に1/10に縮写(ここで現物サイズ)しながら碁盤の目のようにチップサイズを並べていくのです。
シリコンウェーハと呼ばれる半導体回路の基材のサイズに合わせて径4インチ(インチ=25.4mm)とか6、8、12インチ・・・とかに合わせて縦横にチップを並べます。
これがいよいよ半導体回路を作るためのフォトマスク、原版になるのです。
905

以前はこれらの先端技術や工業用の精密機器はドイツが得意でした。私が疑術者だったころは要の装置はドイツ製でした。
今は全般的に日本製が強いですね。理論だけでは成し得ない最後の詰めを日本人特有の生真面目な職人が仕上げる・・・
当時疑術者が使っていた装置は一基N億円もしました。ですからそれなりの投資の出来るメーカで無いと半導体の製造に関われなかったはずです。
実際には水、空気の確保から光学、化学の処理ラインを構築する等に果たしていくら、何百億(今では何千億)の投資が必要だったでしょう。
それに半導体の発展が極めて速く、直ぐに機器・装置は陳腐化し、常に最新の設備が求められていました。
半導体技術の急速な発展でそれを使用した電子機器が一般の家庭に普及し始め、売り上げは急拡大した時期でした。
しかし技術者の育成、設備資金・・・諸々、工場の運営は大変だったと思います。
909

日本人は光学的処理、精密機器の製造が得意です。
更にそれを仕様以上に使いこなす技術職人の日夜の研鑽によって高品質の半導体集積回路が作られていったのです。
924QFP

時は電子立国日本の黎明期です。
1991年、NHKスペシャル「電子立国日本の自叙伝」と言う番組が何回かに分けて放送されていました。
疑術者はその中で国内の電卓戦争が勃発した頃の話です。
910

912

それで、なんでしたかね・・・
そうそう、「天文学者」になる夢が「電戯疑術者」になったのでした。
のちにプラネタリウムの会社さんと仕事のでお付き合いがありました。
天文学の夢をみた幼いころのことを想いながら、打ち合わせをしたものです・・・と、いうより装置の話とか、天文のこととかをただ好奇心的にお教え戴いただけです。それもだいぶ時が過ぎ記憶は頭髪の如く薄れ、光源部のユニットが故障してご迷惑をかけた・・・そんなことしか憶えてないなあという感じです。
914

毎度のことですが、支離滅裂で何のことだか分かりません。何処に行こうとしているのかも・・・めちゃくちゃな話です。
少しは天文学に関わったこともあったことが走馬灯の如く脳裏を巡りながら、
たまたま今回、この野辺山の地をさまよう機会があったのでした。
◇日本はプラネタリウムでは最先端の国です。
光学、精密な制御、コンテンツの製作、どれも日本が得意とする分野で、それが生かされているのでしょう。
http://www.konicaminolta.jp/planetarium/index.html
http://www.goto.co.jp/about/
日本には世界のシェア1位と2位のメーカが存在します。もちろん国内でもこの2社が他社を寄せ付けず、
事実上は3位があって無いようなそんな感じです。
最近のプラネタリウムはハードもソフトも大変進歩し、素晴らしい映像を楽しめるようになりました。
宇宙とか星とかに興味のある方はもちろん、一般の若い方も行かれるようです。
まだの方は是非見てほしいですね・・・
そう言う自分は、随分昔に一回見ただけですが・・・
稚拙な内容のものを辛抱強くご覧戴きましてありがとうございました。
おわり
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2016/08/20 Sat.
野辺山宇宙電波観測所をさまよう-1幼い頃の夢の入り混じり 
野辺山宇宙電波観測所をさまよう-1幼い頃の夢の入り混じり
2016/08/13 16:00~
883 八ヶ岳の裾野、その東にそれはありました。

945

これでも、小学生の頃には天文学者になることを夢にみていた時期があったのです。
ですからこういう施設をさまよってみるのは子供の頃の夢を辿るようでとても楽しいですね。
いくつになっても「稚拙な好奇心」だけは健在です。精神的にホトンド成長が無いということでしょうね。
871

山間で生まれ育ち、社会に出るまでは夜空の星がとても綺麗に見える環境にいました。
当時の漫画や空想映画、科学雑誌を見て、そこから得た微々たる知識を繋ぎ合わせ
「あの宵の明星に人が行けるような宇宙船はいつになったら造られるだろう」・・・
「宇宙に生物はいるのだろうか」などと、満天の星空を見上げる度に想いをふくらませたものです。
873

当然ながら齢を重ねるうちに出来の悪い当方は、天文学者への夢は水泡の如く消え去り、
糧を得るための現実的な仕事に就くことになります。
それでナント「電気技術者」を目指したのですが・・・
切っ掛けとその成り行きはとても長い話になるので別の機会に・・・
じつは「電気技術者」も夢のようなもので、とてもそんな能力は無く、
実際にはその隣の世界で「電戯疑術者?」で生きていくことになります。
874 これは宇宙電波観測所施設内で種から育てた超小形の電波望遠鏡です。別名、コスモスとも言うらしい。
花の形は電波望遠鏡が真似をしているし、コスモスは宇宙だったりして・・・
初めの頃は上司(とてもエライところの出身の方でした)から稚拙な好奇心を買われ・・・
本当のところは何も無いのですが。
ただ上司がご自分の趣味を仕事にこじつけて、「山人君、これを任すから」と言われて始めたものが、
仕事だか道楽だか分からんものでした。
私は好奇心だけで「はい、承知致しました!」で、のってしまい、数年間も仕事とも道楽とも分からぬことを
上司にお付き合いをして過ごし、その後別な事業に転じました。
しかしその上司が手繰り寄せた半道楽は20年30年と確かな歩みを続け、
分野の広がりと拡大で今や000億の事業で世界トップシェアに成長しました。
上司は凡人には分からぬ嗅覚を持っていたのですね。
876

では、何をやっていたかですが、当初は半導体集積回路の解析と云えば当時では最先端の技術の世界でした。
そこに山の中の者が稚拙な好奇心を引っ提げ、踏み込んで行ったワケです。
結果・成果は火を見るより明らか・・・当然ですよね。
私は逃げも隠れもしません・・・一切の責任は私に任せた上司ですが、・・・
そこは一応真似事でもして「電戯疑術者」的に取り繕って仕事の成果を出さなければなりません。
今想うと能力以上の難しい中でとても面白さがありましたね。
880

入社したところは電気、電子の世界とはどう考えても無関係な会社でしたが、
それが任された仕事は海の向こう岸の大会社さんのIC(集積回路)を解析して、
先ずは改良型の国産品を造る・・・セカンドソースを造る。
同じ性能のICを日本人が再設計すると、緻密で歩留りが上がります。
そんなことをやっていました。
野辺山の地、林立する電波望遠鏡の間を歩きながら、あれこれと過去の流れを想っています。
881 電波望遠鏡_宇宙からの発せられた電波を受信している。

882

884 それで、具体的には何をどうしているのですか~

疑術者には難しいこたあ分かりません。
885 それでも私は見えないミリ波よりもこの構造物の重量感に圧倒され、感激しています。

887 ミリ波干渉計

波長が1mm~10mm、30GHz~300GHz帯、ここでは他の天体から発せられるこの帯域の電波を探しているのでしょう。
(案内書より)
径10m(約35t)視力60に相当_6台の望遠鏡をつなぎ、最大で径600mの電波望遠鏡に相当する観測ができる。
888

幼い頃の宇宙への想いと
その成り行きが頭の中を巡るのを覚えながら「野辺山宇宙電波観測所」の施設の中をさまよっています。
◇ 所在地
〒384-1305 長野県南佐久郡南牧村野辺山462-2
最 寄 駅:JR小海線・野辺山駅下車徒歩40分
入 場 料:無料
公開時間:8 時30分~17時00分通常
8 時30分~18時00分(夏季・7/30~8/81)
野辺山宇宙電波観測所をさまよう-2へ続きます。
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2016/08/13 16:00~
883 八ヶ岳の裾野、その東にそれはありました。

945

これでも、小学生の頃には天文学者になることを夢にみていた時期があったのです。
ですからこういう施設をさまよってみるのは子供の頃の夢を辿るようでとても楽しいですね。
いくつになっても「稚拙な好奇心」だけは健在です。精神的にホトンド成長が無いということでしょうね。
871

山間で生まれ育ち、社会に出るまでは夜空の星がとても綺麗に見える環境にいました。
当時の漫画や空想映画、科学雑誌を見て、そこから得た微々たる知識を繋ぎ合わせ
「あの宵の明星に人が行けるような宇宙船はいつになったら造られるだろう」・・・
「宇宙に生物はいるのだろうか」などと、満天の星空を見上げる度に想いをふくらませたものです。
873

当然ながら齢を重ねるうちに出来の悪い当方は、天文学者への夢は水泡の如く消え去り、
糧を得るための現実的な仕事に就くことになります。
それでナント「電気技術者」を目指したのですが・・・
切っ掛けとその成り行きはとても長い話になるので別の機会に・・・
じつは「電気技術者」も夢のようなもので、とてもそんな能力は無く、
実際にはその隣の世界で「電戯疑術者?」で生きていくことになります。
874 これは宇宙電波観測所施設内で種から育てた超小形の電波望遠鏡です。別名、コスモスとも言うらしい。
花の形は電波望遠鏡が真似をしているし、コスモスは宇宙だったりして・・・

初めの頃は上司(とてもエライところの出身の方でした)から稚拙な好奇心を買われ・・・
本当のところは何も無いのですが。
ただ上司がご自分の趣味を仕事にこじつけて、「山人君、これを任すから」と言われて始めたものが、
仕事だか道楽だか分からんものでした。
私は好奇心だけで「はい、承知致しました!」で、のってしまい、数年間も仕事とも道楽とも分からぬことを
上司にお付き合いをして過ごし、その後別な事業に転じました。
しかしその上司が手繰り寄せた半道楽は20年30年と確かな歩みを続け、
分野の広がりと拡大で今や000億の事業で世界トップシェアに成長しました。
上司は凡人には分からぬ嗅覚を持っていたのですね。
876

では、何をやっていたかですが、当初は半導体集積回路の解析と云えば当時では最先端の技術の世界でした。
そこに山の中の者が稚拙な好奇心を引っ提げ、踏み込んで行ったワケです。
結果・成果は火を見るより明らか・・・当然ですよね。
私は逃げも隠れもしません・・・一切の責任は私に任せた上司ですが、・・・
そこは一応真似事でもして「電戯疑術者」的に取り繕って仕事の成果を出さなければなりません。
今想うと能力以上の難しい中でとても面白さがありましたね。
880

入社したところは電気、電子の世界とはどう考えても無関係な会社でしたが、
それが任された仕事は海の向こう岸の大会社さんのIC(集積回路)を解析して、
先ずは改良型の国産品を造る・・・セカンドソースを造る。
同じ性能のICを日本人が再設計すると、緻密で歩留りが上がります。
そんなことをやっていました。
野辺山の地、林立する電波望遠鏡の間を歩きながら、あれこれと過去の流れを想っています。
881 電波望遠鏡_宇宙からの発せられた電波を受信している。

882

884 それで、具体的には何をどうしているのですか~

疑術者には難しいこたあ分かりません。
885 それでも私は見えないミリ波よりもこの構造物の重量感に圧倒され、感激しています。

887 ミリ波干渉計

波長が1mm~10mm、30GHz~300GHz帯、ここでは他の天体から発せられるこの帯域の電波を探しているのでしょう。
(案内書より)
径10m(約35t)視力60に相当_6台の望遠鏡をつなぎ、最大で径600mの電波望遠鏡に相当する観測ができる。
888

幼い頃の宇宙への想いと
その成り行きが頭の中を巡るのを覚えながら「野辺山宇宙電波観測所」の施設の中をさまよっています。
◇ 所在地
〒384-1305 長野県南佐久郡南牧村野辺山462-2
最 寄 駅:JR小海線・野辺山駅下車徒歩40分
入 場 料:無料
公開時間:8 時30分~17時00分通常
8 時30分~18時00分(夏季・7/30~8/81)
野辺山宇宙電波観測所をさまよう-2へ続きます。
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2016/08/12 Fri.
戦場ヶ原をさまよう-3自然研究路・湯川(終回)  
戦場ヶ原をさまよう-3自然研究路・湯川(終回)
633 でも、この湯川がとてもよかったですね。

本来であれば湯川をもっと遡り、湯ノ湖まで行くべきだったのでしょう。
アトムさんが言われるように帰りの時刻によっては湯川の東側を並走する120号に出て、バスに乗ればよかったのです。
二十余年振りに、情報無しでそれも前夜の思いつきで行ってしまったために・・・いつものことですが。
前回は⇒ 戦場ヶ原をさまよう-2小田代ヶ原
567 青木橋・湯川 ここを渡って左岸に

今回の場合、左岸は復路になります。
自然研究路と命名されています・・・しかし私は学生でもなければ、研究者でもありません。
そんなものが進入していいんでしょうかあ
学術的になにも関りのない者がこういうところを迷走しても・・・
だあれも止める者もいないのでそれでは歩き始めてみましょう。
568 われ親しむ名栗川とは少々雰囲気が異なりますね。

さすがに研究路の脇を流れている川です。
高尚な学術臭が漂っていますね・・・
・・・が、そう思っていると向こうから川に入る出で立ちの方々が数人こちらに歩いてきます。
おのおのが釣り竿を担いで・・・えっ!なんとここで魚って釣っていいの・・・(良いようですね)
569

571 左岸は程よい位置に木道が敷かれ、

右は湯川の自然な流れ、左は戦場ヶ原に緑が広がって美しいところです。
572

576

578

579 ・・・やはり、自然研究に熱心な方々でしょう。

当方は肩身が狭いのですが、静かにお邪魔しないように通るしかありません。
580

582

583

584

585

586

589 この根は前回来た時にも見たような気がしますが、

自然に倒れたままで、二十余年も長持ちするものでしょうか。
それとも、前回見た根とは別なモノでしょうか・・・
590

◇左手には戦場ヶ原の風景が続きましたが、冒頭にも記したように右手の湯川の流れもとても良いものでした。
593

594

596

なんて言えばよいのか、持ち合わせの単語の減少が激しいので、なかなか上手く表現できません。
人の手が入らず、川縁に草木は生えたまま、何らかのご都合で木は倒れ込んだまま、起きず静かに眠っている。
するとその眠った木の上に草木が茂り、花まで咲かしている。
素晴らしき自然の循環です。
599

600

602

605

606

608

610

612

614

616

618

622

623

624

626

628

630

631 何も手を加える必要はない。

635 人が手を加えたからってこれ以上に美しい自然を造れるわけがない。

川は流れに任せて流れればよい
草木は自由に茂ればよい
木は疲れたら川に横たわり寝ればよい
自然とは この草木とは なんとも羨ましき光景である
自分もこのように歩みたいと思うが・・・
何をブツブツ言ってるの、サッサと歩かないと帰りの関越が込むわ・・・瞬く間に現実に引き戻される。
この自然研究路は学術研究者ではない私のようなウォーキング初心者がさまよってもよいようです。
多くの方は研究路をその意味合いを込めて歩かれているのでしょう。
そのような雰囲気を持たれた方が多かったような・・・美しい木のせい、いや気のせいでしょうか。
◇戦場ヶ原をさまよう 終わり
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633 でも、この湯川がとてもよかったですね。

本来であれば湯川をもっと遡り、湯ノ湖まで行くべきだったのでしょう。
アトムさんが言われるように帰りの時刻によっては湯川の東側を並走する120号に出て、バスに乗ればよかったのです。
二十余年振りに、情報無しでそれも前夜の思いつきで行ってしまったために・・・いつものことですが。
前回は⇒ 戦場ヶ原をさまよう-2小田代ヶ原
567 青木橋・湯川 ここを渡って左岸に

今回の場合、左岸は復路になります。
自然研究路と命名されています・・・しかし私は学生でもなければ、研究者でもありません。
そんなものが進入していいんでしょうかあ
学術的になにも関りのない者がこういうところを迷走しても・・・
だあれも止める者もいないのでそれでは歩き始めてみましょう。
568 われ親しむ名栗川とは少々雰囲気が異なりますね。

さすがに研究路の脇を流れている川です。
高尚な学術臭が漂っていますね・・・
・・・が、そう思っていると向こうから川に入る出で立ちの方々が数人こちらに歩いてきます。
おのおのが釣り竿を担いで・・・えっ!なんとここで魚って釣っていいの・・・(良いようですね)
569

571 左岸は程よい位置に木道が敷かれ、

右は湯川の自然な流れ、左は戦場ヶ原に緑が広がって美しいところです。
572

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579 ・・・やはり、自然研究に熱心な方々でしょう。

当方は肩身が狭いのですが、静かにお邪魔しないように通るしかありません。
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589 この根は前回来た時にも見たような気がしますが、

自然に倒れたままで、二十余年も長持ちするものでしょうか。
それとも、前回見た根とは別なモノでしょうか・・・
590

◇左手には戦場ヶ原の風景が続きましたが、冒頭にも記したように右手の湯川の流れもとても良いものでした。
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なんて言えばよいのか、持ち合わせの単語の減少が激しいので、なかなか上手く表現できません。
人の手が入らず、川縁に草木は生えたまま、何らかのご都合で木は倒れ込んだまま、起きず静かに眠っている。
するとその眠った木の上に草木が茂り、花まで咲かしている。
素晴らしき自然の循環です。
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631 何も手を加える必要はない。

635 人が手を加えたからってこれ以上に美しい自然を造れるわけがない。

川は流れに任せて流れればよい
草木は自由に茂ればよい
木は疲れたら川に横たわり寝ればよい
自然とは この草木とは なんとも羨ましき光景である
自分もこのように歩みたいと思うが・・・
何をブツブツ言ってるの、サッサと歩かないと帰りの関越が込むわ・・・瞬く間に現実に引き戻される。
この自然研究路は学術研究者ではない私のようなウォーキング初心者がさまよってもよいようです。
多くの方は研究路をその意味合いを込めて歩かれているのでしょう。
そのような雰囲気を持たれた方が多かったような・・・美しい木のせい、いや気のせいでしょうか。
◇戦場ヶ原をさまよう 終わり
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2016/08/07 Sun.
戦場ヶ原をさまよう-2 小田代ヶ原 
戦場ヶ原をさまよう-2 小田代ヶ原
赤沼駐車場(赤沼自然情報センター傍)を出発し
湯川赤沼橋を経由して小田代歩道を小田代ヶ原に向かいます。
648 周辺地図

前回は⇒ 戦場ヶ原をさまよう-1 小田代歩道
444 緩やかな上り下りを繰り返し、緑の中を進みます。11:00

446

暫くの間、左も右も全く展望はありませんが、明るく清涼感のある中を快適に進みます。
452 右手方向に明るさが

454 戦場ヶ原展望台へ 11:20

455

461 展望台と云うと少しは高くなった位置にあるものと思っていたのですが・・・

ここの展望台はこんな感じで、ほぼ平坦で北に向かって開けています。
赤沼Pから小田代歩道を歩いてきて展望が効くのはここが初めてです。
463 クマ笹に囲まれた中、健気に黄色い花が咲いていました。

花の色と形は日光キスゲに似ていますが何でしょう。
464 本線に戻ります。小田代ヶ原まではあとわずかです。

465 シカ防止柵・・・日光周辺は以前からシカの食害がだいぶあるようです。

467 ここで休憩、軽く昼食・・・11:35

471 まだ新しい木道が延びています。

要らぬ心配ですが、このへんの費用は・・・
尾瀬の場合は木道の設置、保守費用は電力会社がだいぶ負担しているようです。
トイレチップなどもあるようですし、売店やシャトルタクシーなど、相当な営業益があると思われるので
そのへんから応分の受益者負担(その原資、源泉はそこを訪れた者)・・・いや分からんですね。
475 小田代ヶ原・・・開けてきました。

477

479

483 緑の中に紫色の花が見えます。ホザキシモツケとノアザミです・・・いや、そうでしょうか?

486 ノアザミのようですね。

490

494 豪華な木道が更につづきます。

ホントに無料でいいんでしょうか・・・
500 当たり前ですが、奥武蔵では見ることの出来ない風景が続きます。

502 これはいくらなんでも白樺でしょう・・・か?

504 これはいくら何でもノアザミですよ。

505

509 これだってノアザミでしょう。

510

524

525

530

533 再び左右の展望は閉ざされた中を進みます。

笹と野草が入り混じった中に黄色い花(?)が目立ちます。
534

539

541 先を右折して自然研究路に入ります。13:15

ここ迄来たのであれば、湯滝から湯ノ湖辺りまで行けばよかったのでしょうが、
恐らく赤沼Pまで戻るに3時間から4時間かかる・・・そう思って断念しました。
別の機会にと思います。
544 復路、自然研究路を経由して赤沼Pに戻ります。

548 展望が開けて北から東に戦場ヶ原が広がってきます。

556

557

558

559 再び湯川に・・・上流は湯ノ湖から下流の竜頭ノ滝へ向かって流れて行きます。

563

565 青木橋を渡り、湯川の左岸を下流に向かって進むことになります。

(自然研究路)左手には戦場ヶ原と男体山、右手には魅力的な湯川を見ながら赤沼Pを目指します。
◇幻の小田代湖・・・数年に一度、特に台風などで大雨に当たった年に雨水が小田代ヶ原に溜まり湖が出来るらしい。
Webからその湖面にカラマツや背景の山々を映した画像を見ることが出来ます。
今回は夏でしたが、木の葉の色付きの時季、雪化粧の時季、
そして湖の出現があるのであればその時季に是非観てみたいものです。
◇戦場ヶ原をさまよう-3 復路の自然研究路に続きます。
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赤沼駐車場(赤沼自然情報センター傍)を出発し
湯川赤沼橋を経由して小田代歩道を小田代ヶ原に向かいます。
648 周辺地図

前回は⇒ 戦場ヶ原をさまよう-1 小田代歩道
444 緩やかな上り下りを繰り返し、緑の中を進みます。11:00

446

暫くの間、左も右も全く展望はありませんが、明るく清涼感のある中を快適に進みます。
452 右手方向に明るさが

454 戦場ヶ原展望台へ 11:20

455

461 展望台と云うと少しは高くなった位置にあるものと思っていたのですが・・・

ここの展望台はこんな感じで、ほぼ平坦で北に向かって開けています。
赤沼Pから小田代歩道を歩いてきて展望が効くのはここが初めてです。
463 クマ笹に囲まれた中、健気に黄色い花が咲いていました。

花の色と形は日光キスゲに似ていますが何でしょう。
464 本線に戻ります。小田代ヶ原まではあとわずかです。

465 シカ防止柵・・・日光周辺は以前からシカの食害がだいぶあるようです。

467 ここで休憩、軽く昼食・・・11:35

471 まだ新しい木道が延びています。

要らぬ心配ですが、このへんの費用は・・・
尾瀬の場合は木道の設置、保守費用は電力会社がだいぶ負担しているようです。
トイレチップなどもあるようですし、売店やシャトルタクシーなど、相当な営業益があると思われるので
そのへんから応分の受益者負担(その原資、源泉はそこを訪れた者)・・・いや分からんですね。
475 小田代ヶ原・・・開けてきました。

477

479

483 緑の中に紫色の花が見えます。ホザキシモツケとノアザミです・・・いや、そうでしょうか?

486 ノアザミのようですね。

490

494 豪華な木道が更につづきます。

ホントに無料でいいんでしょうか・・・
500 当たり前ですが、奥武蔵では見ることの出来ない風景が続きます。

502 これはいくらなんでも白樺でしょう・・・か?

504 これはいくら何でもノアザミですよ。

505

509 これだってノアザミでしょう。

510

524

525

530

533 再び左右の展望は閉ざされた中を進みます。

笹と野草が入り混じった中に黄色い花(?)が目立ちます。
534

539

541 先を右折して自然研究路に入ります。13:15

ここ迄来たのであれば、湯滝から湯ノ湖辺りまで行けばよかったのでしょうが、
恐らく赤沼Pまで戻るに3時間から4時間かかる・・・そう思って断念しました。
別の機会にと思います。
544 復路、自然研究路を経由して赤沼Pに戻ります。

548 展望が開けて北から東に戦場ヶ原が広がってきます。

556

557

558

559 再び湯川に・・・上流は湯ノ湖から下流の竜頭ノ滝へ向かって流れて行きます。

563

565 青木橋を渡り、湯川の左岸を下流に向かって進むことになります。

(自然研究路)左手には戦場ヶ原と男体山、右手には魅力的な湯川を見ながら赤沼Pを目指します。
◇幻の小田代湖・・・数年に一度、特に台風などで大雨に当たった年に雨水が小田代ヶ原に溜まり湖が出来るらしい。
Webからその湖面にカラマツや背景の山々を映した画像を見ることが出来ます。
今回は夏でしたが、木の葉の色付きの時季、雪化粧の時季、
そして湖の出現があるのであればその時季に是非観てみたいものです。
◇戦場ヶ原をさまよう-3 復路の自然研究路に続きます。
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2016/08/02 Tue.
戦場ヶ原をさまよう-1小田代歩道 
戦場ヶ原をさまよう-1小田代歩道
2016/07/16
梅雨が明けて暑い日が続いていますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
7月16日、梅雨時の合間に戦場ヶ原をちょこっとさまよってみました。
422a 赤沼橋付近

◇関越沼田-金精峠-湯ノ湖-赤沼P(自然情報センター)
【歩】赤沼P-湯川・赤沼橋-小田代歩道-小田代ケ原-湯川-青木橋-自然研究路-赤沼P
396 赤城高原SA下り(関越)

ナゼ戦場ヶ原か?・・・深い意味は全くありません。
そろそろ尾瀬・アヤメ平に行こうと思っていたのですが、この16日現在では梅雨明けはまだです。
それで、比較的簡単に行けて天気の急変にも撤退が楽なところ・・・
戦場ヶ原はアヤメ平よりもかなり気楽に歩けます。
この時季、まして小心者には安心の場所なのです。
405

じつはこの近辺は、二十数年前に「竜頭の滝」から湯川沿いを少し歩いたことがあったのですが、
記憶は薄らいでいます。
もっともその時は急に天候の悪化が予想され、途中から慌てて引き上げので
どの辺を何処まで歩いたのか・・・今となっては曖昧になっています。
407

赤沼自然情報センター奥の駐車場から歩き始めます。
120号線を横切って戦場ヶ原の南端を西に向かうように入り、小道を進むとすぐに右側には小川が流れ、
澄み切った水中に時折り小魚の影を見ることが出来ます。
小川の左手には青々とした葉を装った樹木
(カラマツとかブナ系でしょうか・・・私のことですからあてになりませんが・・・)
その下にはグラウンドカバーのようにクマ笹が広がっています。
410

414

422 湯川の流れ、川面に豊かな木立と緑が映っています。

424 湯川赤沼橋

赤沼の駐車場から20分弱で湯川赤沼橋に到着。曇り空の下、川面に木立が映り味のある風景がつくられています。
他国の二人連れが対面から来て橋の上で陽気にポーズを決め、写真を撮っているので暫く待ってから渡りました。
モチロン挨拶して・・・日本語で・・・
427

429 湯川 水面に樹影と間の空を映しゆったりと流れます。

431

湯川を離れて緑一色の中、爽やかな空気の中を進み小田代ケ原に向かいます。
435

437 行けど進めど更にみどり

439 自然のまま みどりのまま 素晴しき道をゆきます。

441

ほとんど人と会いません。それでいいのです。人がいないからって、代わりに熊に会うのも困りますが・・・
この緑を独り占めでいいんでしょうかあ・・・時折写真を撮るだけなのですが、少々後ろめたい気持ちになります。
独り占めでいいんですね・・・小心者です。
暫くはクマ笹にカラマツ、ブナ系の光景が続きます。
戦場ヶ原をさまよう-2に続きます。
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2016/07/16
梅雨が明けて暑い日が続いていますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
7月16日、梅雨時の合間に戦場ヶ原をちょこっとさまよってみました。
422a 赤沼橋付近

◇関越沼田-金精峠-湯ノ湖-赤沼P(自然情報センター)
【歩】赤沼P-湯川・赤沼橋-小田代歩道-小田代ケ原-湯川-青木橋-自然研究路-赤沼P
396 赤城高原SA下り(関越)

ナゼ戦場ヶ原か?・・・深い意味は全くありません。
そろそろ尾瀬・アヤメ平に行こうと思っていたのですが、この16日現在では梅雨明けはまだです。
それで、比較的簡単に行けて天気の急変にも撤退が楽なところ・・・
戦場ヶ原はアヤメ平よりもかなり気楽に歩けます。
この時季、まして小心者には安心の場所なのです。
405

じつはこの近辺は、二十数年前に「竜頭の滝」から湯川沿いを少し歩いたことがあったのですが、
記憶は薄らいでいます。
もっともその時は急に天候の悪化が予想され、途中から慌てて引き上げので
どの辺を何処まで歩いたのか・・・今となっては曖昧になっています。
407

赤沼自然情報センター奥の駐車場から歩き始めます。
120号線を横切って戦場ヶ原の南端を西に向かうように入り、小道を進むとすぐに右側には小川が流れ、
澄み切った水中に時折り小魚の影を見ることが出来ます。
小川の左手には青々とした葉を装った樹木
(カラマツとかブナ系でしょうか・・・私のことですからあてになりませんが・・・)
その下にはグラウンドカバーのようにクマ笹が広がっています。
410

414

422 湯川の流れ、川面に豊かな木立と緑が映っています。

424 湯川赤沼橋

赤沼の駐車場から20分弱で湯川赤沼橋に到着。曇り空の下、川面に木立が映り味のある風景がつくられています。
他国の二人連れが対面から来て橋の上で陽気にポーズを決め、写真を撮っているので暫く待ってから渡りました。
モチロン挨拶して・・・日本語で・・・
427

429 湯川 水面に樹影と間の空を映しゆったりと流れます。

431

湯川を離れて緑一色の中、爽やかな空気の中を進み小田代ケ原に向かいます。
435

437 行けど進めど更にみどり

439 自然のまま みどりのまま 素晴しき道をゆきます。

441

ほとんど人と会いません。それでいいのです。人がいないからって、代わりに熊に会うのも困りますが・・・
この緑を独り占めでいいんでしょうかあ・・・時折写真を撮るだけなのですが、少々後ろめたい気持ちになります。
独り占めでいいんですね・・・小心者です。
暫くはクマ笹にカラマツ、ブナ系の光景が続きます。
戦場ヶ原をさまよう-2に続きます。
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