好日奥武蔵 (奥武蔵の山人)
実践記 ウォーキング、トレッキング ノ ススメ...稚拙な好奇心...時折下手な工作
2019/03/26 Tue.
楢抜山~仁田山峠~コア山 -2 /奥武蔵_楢抜山ルートをさまよってみる 2019-03-02 
楢抜山~仁田山峠~コア山 -2 /奥武蔵_楢抜山ルートをさまよってみる 2019-03-02
431 鳥居観音・・・コア山付近からの展望

前回は⇒ 尾須沢鍾乳洞~楢抜山
前回は尾須沢鍾乳洞~楢抜山へ
T氏は楢抜山を後にして論地山に向かいます。私は仁田山峠~コア山に行くために来た道を少し戻り、先ず三又へと進みます。
381

383

384

楢抜山からは先ほど登ってきた怖い急坂を慎重に下ります。
~ ~ ~
◇ところで余談ですが、
同じ斜面を登るのと下るのではどうして怖さが違うのでしょう?
私の場合は登っている時は急な斜面でもほとんど怖さを感じません。
しかしどう云うわけか下りは心理面と手足に少なからず緊張を感じます。
この下りの恐怖とか緊張がナゼ生じるかを自分なりに科学してみました。
次のことはその分野の知浪途=素人が寝言を言っていますので信憑性はありませんが・・・
下りは登りへの移動や並行移動と異なり、高い所から低い所への移動で位置エネルギーが
運動エネルギーに変化します。
そのため移動する高差に加速もついてきます。登りでは自分の体重以上を支える必要は無いのですが、
下りでは体重に加えて落下時に生じるエネルギーも自分の手足で支えなければならないわけです。
下りの移動で滑ったり足を踏み外したりすると加速がつき、手足の力では支えきれなくなることを
斜面の角度に合わせて体が覚えている。
警戒心を本能が持ち合わせている・・・そんな感じでどうでしょうか。
~ ~ ~
386 誰が命名したか「卍岩」 一見すると石積に見えるのですが、永年の風雪が上手にヒビを入れてくれました。

さて鞍部に降り、石積状の自然石を右に見て登り直しをすれば三又です。
387 登る途中の左手に岩場が見えますが、巨大な石灰岩の岩場です。

後で調べてみると、この周辺には尾須沢鍾乳洞の他に雷岩、蛇岩、小泉エリア等があり岩登りをする人達が訪れているようです。
389

392 かなり急斜面です。

393

395 三又に戻り、これから先は仁田山峠に行くので右に進めば良いはずです。

尾須沢鍾乳洞から来た時も思いましたが、ここに指導標が欲しいですね。
・・・指導標を置くほどの人は通らないか、ここを通るような者は地形の読みなどが出来る熟達者だけなのでしょうか。
397

三又を出ると今度は下りの急坂です。右に岩場を見ながらゆっくりと進みます。
398

*三又:勝手に三又と言っていますが、正式な位置名称がついているかどうかは分かりません。
400 ここも慎重に慌てず、急がずして足を運びます。

何しろ下りは位置エネルギーが運動エネルギーになるのですから・・・暫く我慢しながら少しずつ下り
杉と檜の間をゆくとやがて道は緩やかになり前方左下に林道が見えてきました。
402

407

408
8
410

「林道_原市場‐名栗線」です。この林道は名栗川沿いの「バス停・鍛治屋橋」から東に向かって山に入り、
仁田山峠を経由して竹寺方面まで延びています。
そうそう、林道と言えばその世界の権威 「林道タマチャリン」 氏ですが・・・おおっ!やはりここをお通りになられてます。
411

山道から林道に下りました。ここが仁田山峠なのですが「ここが仁田山峠だ!!」という峠感がありません。
何らかの峠標識でもあればと探すと、ありました。ガードレールに貼ってあります。
しかしこれだとこの峠を越えて行く場合に見逃してしまいそうです。
実はこの峠を越えたのは4回めで今回初めてこの表示に気が付きました。
412

それにこの峠から楢抜山への登山口ですが、降りてきたのは良いのですが、
登山口として登って行くにはとても分かり難いです。
特に鍛治屋橋から上がって来ると見過ごしてしまいそうですね。
413

仁田山峠から名栗・鍛治屋橋へ向かうとすぐに左に大きく曲がり、また右に曲がった所に谷があります。
415

右上の方が明るく、何やら面白そうな感じがしますので登ってみることにしました。
取っ掛かりに踏み跡はあったのですが、急斜面になると踏み筋は直ぐに消えました。
それでもマア何とか行けるでしょうと思いダブルストックを使って滑らないようにしながらよじ登ります。
418

419

明るくなっている所に近づくと藤が木々に絡んで妨げになっていますが、なんとか搔い潜り縁に取り付きます。
422

登ってみると大きな視界が広がっています。
近景には昔、耕作していたかのような地形が見えます。
(後日、再びここに登って耕作地ではなさそうと・・・)
430

424 予想以上の大展望です・・・上がって来て良かったです!

中央に金毘羅山、左遠方には蕎麦粒山周辺~鳥居観音、右は武川岳のようです。
425

433

434 左から大持山、武甲山、武川岳、右下に見えるのは名栗中学校のようです。

ほぼ中央に石灰岩の採石場が見えます。その近くには天狗岩と言う面白い岩場があるのですわ。
↓は武川岳に登った時のものです。
⇒ 採石現場近く
⇒ 天狗岩
439 人工的な地形ですね。

以前何か植えていたのでしょうか?
(そう思っていたのですが、後日再びここに立ってみて、コア山ですからダムのコア部の材料を取った跡ではないかと考えるようになりました。どうでしょうか)
440 暫く展望を楽しんだあと急斜面を下って本線へ

林道「原市場~名栗線」を名栗川・鍛治屋橋方面へ下ります。
443 この辺はコア山の桜と言われている所です。

昨年初めてここの桜を観にきましたが少し早めでした。
⇒ コア山の桜
444 「救世大観音」

447

449 コア山の碑

456 ここは春は桜、冬はススキですね。

460

465

467 林道・原市場~名栗線 終点まで来ました。

林道はここが終点です。
仁田山峠から「バス停・鍛治屋橋」まで、寄り道の分も入れてユックリと約1時間です。
気になる斜面に遇ったら登ってみる・・・すると思わぬ大展望が待っていてくれる・・・ことがある。
予定ではここからバスに乗り、飯能駅まで行くのですが・・・ひとつ乗り逃がして次がなかなか来ない。
***
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431 鳥居観音・・・コア山付近からの展望

前回は⇒ 尾須沢鍾乳洞~楢抜山
前回は尾須沢鍾乳洞~楢抜山へ
T氏は楢抜山を後にして論地山に向かいます。私は仁田山峠~コア山に行くために来た道を少し戻り、先ず三又へと進みます。
381

383

384

楢抜山からは先ほど登ってきた怖い急坂を慎重に下ります。
~ ~ ~
◇ところで余談ですが、
同じ斜面を登るのと下るのではどうして怖さが違うのでしょう?
私の場合は登っている時は急な斜面でもほとんど怖さを感じません。
しかしどう云うわけか下りは心理面と手足に少なからず緊張を感じます。
この下りの恐怖とか緊張がナゼ生じるかを自分なりに科学してみました。
次のことはその分野の知浪途=素人が寝言を言っていますので信憑性はありませんが・・・
下りは登りへの移動や並行移動と異なり、高い所から低い所への移動で位置エネルギーが
運動エネルギーに変化します。
そのため移動する高差に加速もついてきます。登りでは自分の体重以上を支える必要は無いのですが、
下りでは体重に加えて落下時に生じるエネルギーも自分の手足で支えなければならないわけです。
下りの移動で滑ったり足を踏み外したりすると加速がつき、手足の力では支えきれなくなることを
斜面の角度に合わせて体が覚えている。
警戒心を本能が持ち合わせている・・・そんな感じでどうでしょうか。
~ ~ ~
386 誰が命名したか「卍岩」 一見すると石積に見えるのですが、永年の風雪が上手にヒビを入れてくれました。

さて鞍部に降り、石積状の自然石を右に見て登り直しをすれば三又です。
387 登る途中の左手に岩場が見えますが、巨大な石灰岩の岩場です。

後で調べてみると、この周辺には尾須沢鍾乳洞の他に雷岩、蛇岩、小泉エリア等があり岩登りをする人達が訪れているようです。
389

392 かなり急斜面です。

393

395 三又に戻り、これから先は仁田山峠に行くので右に進めば良いはずです。

尾須沢鍾乳洞から来た時も思いましたが、ここに指導標が欲しいですね。
・・・指導標を置くほどの人は通らないか、ここを通るような者は地形の読みなどが出来る熟達者だけなのでしょうか。
397

三又を出ると今度は下りの急坂です。右に岩場を見ながらゆっくりと進みます。
398

*三又:勝手に三又と言っていますが、正式な位置名称がついているかどうかは分かりません。
400 ここも慎重に慌てず、急がずして足を運びます。

何しろ下りは位置エネルギーが運動エネルギーになるのですから・・・暫く我慢しながら少しずつ下り
杉と檜の間をゆくとやがて道は緩やかになり前方左下に林道が見えてきました。
402

407

408
8

410

「林道_原市場‐名栗線」です。この林道は名栗川沿いの「バス停・鍛治屋橋」から東に向かって山に入り、
仁田山峠を経由して竹寺方面まで延びています。
そうそう、林道と言えばその世界の権威 「林道タマチャリン」 氏ですが・・・おおっ!やはりここをお通りになられてます。
411

山道から林道に下りました。ここが仁田山峠なのですが「ここが仁田山峠だ!!」という峠感がありません。
何らかの峠標識でもあればと探すと、ありました。ガードレールに貼ってあります。
しかしこれだとこの峠を越えて行く場合に見逃してしまいそうです。
実はこの峠を越えたのは4回めで今回初めてこの表示に気が付きました。
412

それにこの峠から楢抜山への登山口ですが、降りてきたのは良いのですが、
登山口として登って行くにはとても分かり難いです。
特に鍛治屋橋から上がって来ると見過ごしてしまいそうですね。
413

仁田山峠から名栗・鍛治屋橋へ向かうとすぐに左に大きく曲がり、また右に曲がった所に谷があります。
415

右上の方が明るく、何やら面白そうな感じがしますので登ってみることにしました。
取っ掛かりに踏み跡はあったのですが、急斜面になると踏み筋は直ぐに消えました。
それでもマア何とか行けるでしょうと思いダブルストックを使って滑らないようにしながらよじ登ります。
418

419

明るくなっている所に近づくと藤が木々に絡んで妨げになっていますが、なんとか搔い潜り縁に取り付きます。
422

登ってみると大きな視界が広がっています。
近景には昔、耕作していたかのような地形が見えます。
(後日、再びここに登って耕作地ではなさそうと・・・)
430

424 予想以上の大展望です・・・上がって来て良かったです!

中央に金毘羅山、左遠方には蕎麦粒山周辺~鳥居観音、右は武川岳のようです。
425

433

434 左から大持山、武甲山、武川岳、右下に見えるのは名栗中学校のようです。

ほぼ中央に石灰岩の採石場が見えます。その近くには天狗岩と言う面白い岩場があるのですわ。
↓は武川岳に登った時のものです。
⇒ 採石現場近く
⇒ 天狗岩
439 人工的な地形ですね。

以前何か植えていたのでしょうか?
(そう思っていたのですが、後日再びここに立ってみて、コア山ですからダムのコア部の材料を取った跡ではないかと考えるようになりました。どうでしょうか)
440 暫く展望を楽しんだあと急斜面を下って本線へ

林道「原市場~名栗線」を名栗川・鍛治屋橋方面へ下ります。
443 この辺はコア山の桜と言われている所です。

昨年初めてここの桜を観にきましたが少し早めでした。
⇒ コア山の桜
444 「救世大観音」

447

449 コア山の碑

456 ここは春は桜、冬はススキですね。

460

465

467 林道・原市場~名栗線 終点まで来ました。

林道はここが終点です。
仁田山峠から「バス停・鍛治屋橋」まで、寄り道の分も入れてユックリと約1時間です。
気になる斜面に遇ったら登ってみる・・・すると思わぬ大展望が待っていてくれる・・・ことがある。
予定ではここからバスに乗り、飯能駅まで行くのですが・・・ひとつ乗り逃がして次がなかなか来ない。
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2019/03/18 Mon.
尾須沢鍾乳洞~楢抜山 -1/奥武蔵_楢抜山ルートをさまよってみる 2019-03-02 
尾須沢鍾乳洞~楢抜山 -1/奥武蔵_楢抜山ルートをさまよってみる 2019-03-02
479 棒ノ嶺(楢抜山から)

以前から地図上で気になっていた山があります。楢抜山(ならぬき)です。
詳細地図にそのルートが描かれてはいるのですが、ここを歩くような人はいるのだろうかと思うようなコースです。展望が良さそうでもないし、ひたすら植林地帯を黙々と歩く修行の道・・・そんな感じなのです。それでもWEBで見ると楢抜山に登られている人がいる・・・そんじゃあ行けることは行けるんだと云うことで、時間が空いた時にちょっくら行ってみるかあとなりました。
余り面白そうなことが無い山なので、ここだけ行くちゅうのもなんだと思い、ルートを検討してみたのですが良さそうな案は見つかりません。
後で知ったのですがこの辺のルートに仁田山峠~楢抜山~論地山があるようです。
それで今回の場合は
◇河又(バス停)~尾須沢鍾乳洞~楢抜山~仁田山峠~コア山~鍛治屋橋(バス停)で歩いてみることにしました。
◇地図

このようなコースを歩く人はまずいないでしょうが当日の自分の都合でそうしたわけです。
地図を見ると先ず須沢鍾乳洞に取りつき、手前左から鍾乳洞の裏側に廻り込んで尾根に上る・・・あとは適当に行けば何とかなりそうです。
何時ものことで、今回の場合は道を外したら藪漕ぎで斜面を下れば名栗川か蕨川に出るはず、仮におお外ししても成木川か高麗川だ・・・まあそんなこたあないでしょうが。
【注意、賢明な皆様はお分かりだとは思いますが、こんな考えで山に入るのは危険です。絶対にマネをしないでくださいね】
私の場合、実際に谷をひとつ間違えて予定到着地と数キロ離れた所に出てしまったことがあります。
~ ~ ~
309

不思議なことに アッ と思ったらいつの間にか「バス停河又」で下車し、名栗川の左岸を遡っていました。
313

少し歩けばに有間川との合流点・河又です。左の有間橋を渡れば名栗湖から棒ノ嶺や有間峠に、今日は橋を渡らずにもう少し直進します。するとすぐに右手に尾須沢鍾乳洞の案内坂があり、ここが今日の登山口になります。既に50年以上も前のこと友達とこの鍾乳洞に来たことがあるのですが、何処をどう歩いて登ったのか頭頂の如く全く憶えていません・・・いや、頭頂は少し残っていますよ。
316

317

318

登山口から進むと思ったより急登で、少し登っただけで汗ばんできました。
歩を止めて上着を脱ぎ、汗をぬぐっていると下からベテランの出で立ちに100戦練磨の雰囲気を持たれた方が追いついて来ました。道を譲り挨拶して先に行ってもらいます。
319

321 やっぱりベテランの方の足取りは違いますね。

ああそうだ・・・ベテラン(T氏)の方に失礼ながら背後からお声掛けをします。
「すみません~お尋ねしてよろしいでしょうか?」
「はい!」
「ここから楢抜山にいけるでしょうか?」
「はい 行ったことは無いですが、行けると思いますよ 普通は仁田山峠からでしょうね」
「承知です」
「私もそちら方面に行きますので・・・」
じつはこの先、ベテラン(T氏)のお陰で途中を迷うことなく進めました。
(ベテランの方は以後、所沢からこられたのでT氏とします)
322

323

325

尾須沢鍾乳洞に向かう道は短いのですが、苔や倒木、足元は出水の影響か少し荒れ気味の急登でした。
326 流石にベテランです。適切な判断で躊躇せず休まず登って行かれます。

328

汗をかきながら暫くT氏の跡を追っていくと、白っぽい岩壁が有りました!
ここで岩登りをやる方がいるのですね。
クライマーが3人それぞれの間隔で準備中のようです。
・・・う~ん 50年前と岩壁が違うような気もしますがやっぱり憶えてないですね。
329

331

今回この鍾乳洞はあくまでも通過途中の目印のようなものですので、足場の確保をして水分の補給です。
333

334

335

一息いれて岩壁の前を左側に廻り込み、岩場の背面へと廻り込めばよいのですが、踏み跡が薄くここが分かり難いですね。行き過ぎてしまう可能性があります。
【もしこのルートを初めて通られる方がいるようでしたら、岩場の左側斜面を登って行けば大丈夫です】
336

339

兎に角、尾根を目指してとの思いで、植林で見通しの無い斜面を上へと登ると尾根道に取り付きました。
340

341

344

348

尾根道を暫く登るとピークに出ます。T氏と楢抜山はここでしょうかね?
・・・しかしそれらしき表示は見つからず、詳細図を見直し、T氏は楢抜山がまだ先だと気が付きます。ここは三又ですね・・・流石です。
355

356

この三又は尾須沢鍾乳洞から来て左に下ると仁田山峠、やや右を進むと楢抜山方面のようです。落ち着いて地図と方角を見ればその通りです。私の場合は本当に困らなければ滅多に地図を見ない・・・そういう山を甘くみる考えは改めなければいけませんね。
そんな考えで山歩きをして、おお外ししたことがあります。
そこには予期せぬ面白さもありますが、大きな危険が潜んでいることもあります。けしてお薦めするものではありません。
357

359

三又を確認後、楢抜山へと進むのですが突然あら~と思うような急な下り坂です。それも先日の雨で少々ヌカリ滑り易いです。更にここを下った先には急な登り返しが待ち構えています・・・仁田山峠に行くにはここを登って戻らなければならず、この時点で少なくともあと2回ずつ急坂の上り下りがあることが分かりました・・・まあ仕方なく行くしかありません。
360

361

362

363 卍岩ボルダー・・・見事な石積の防壁に見えますが、永年の風雪によるヒビですね。

自然はときに石の名工になります。
*後で分かったことなのですが、この岩は登りの方が練習に使うことが有るようです。
この辺には他にも雷岩や蛇岩、小泉エリア等があり、岩登りをする方々が訪れているようです。
366

368

何とか無事に下り、急登を登り返してT氏の後を追い、馬の首のような所を登りきって少し行くとピークに到着しました。
369

370

いくら何でも楢抜山はこの辺だろうと思いT氏と周囲を見回すと、「ありました!」楢抜山553mの表示と三等三角点です。
登頂です・・・どんな山でも初めてピークを踏むとそれなりの達成感が湧いてきます。
374

376

しかし楢抜とはどういう意味なのでしょう・・・「楢」の木はありますが、「抜」の意味が分かりません。勝手に考えると楢の木を抜く・・・この山主は何らかの理由で楢の木が嫌いなため、楢が芽生えても抜いてしまう・・・かなり無理な推測です。
377

展望は・・・残念ながら周囲を木々に囲まれているため展望、視界はほとんどありません。垣間に棒ノ嶺、大岳山が僅かに見えますが、枝が邪魔をしてピントが合わず写真を上手く撮ることが出来ません(枝が無くても上手くは撮れませんが・・・)
378

T氏と周囲を見ながらお話をします。
やはり奥武蔵を沢山歩かれているようです。
私はこれから仁田山峠を経由してコア山方面へ
T氏は論地山から下名栗と久林の境辺りを目指すとのこと
ここでT氏とはお別れです。
お世話様でした。ありがとうございました。
お気を付けて・・・
* * * -2へ続きます * * *
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479 棒ノ嶺(楢抜山から)

以前から地図上で気になっていた山があります。楢抜山(ならぬき)です。
詳細地図にそのルートが描かれてはいるのですが、ここを歩くような人はいるのだろうかと思うようなコースです。展望が良さそうでもないし、ひたすら植林地帯を黙々と歩く修行の道・・・そんな感じなのです。それでもWEBで見ると楢抜山に登られている人がいる・・・そんじゃあ行けることは行けるんだと云うことで、時間が空いた時にちょっくら行ってみるかあとなりました。
余り面白そうなことが無い山なので、ここだけ行くちゅうのもなんだと思い、ルートを検討してみたのですが良さそうな案は見つかりません。
後で知ったのですがこの辺のルートに仁田山峠~楢抜山~論地山があるようです。
それで今回の場合は
◇河又(バス停)~尾須沢鍾乳洞~楢抜山~仁田山峠~コア山~鍛治屋橋(バス停)で歩いてみることにしました。
◇地図

このようなコースを歩く人はまずいないでしょうが当日の自分の都合でそうしたわけです。
地図を見ると先ず須沢鍾乳洞に取りつき、手前左から鍾乳洞の裏側に廻り込んで尾根に上る・・・あとは適当に行けば何とかなりそうです。
何時ものことで、今回の場合は道を外したら藪漕ぎで斜面を下れば名栗川か蕨川に出るはず、仮におお外ししても成木川か高麗川だ・・・まあそんなこたあないでしょうが。
【注意、賢明な皆様はお分かりだとは思いますが、こんな考えで山に入るのは危険です。絶対にマネをしないでくださいね】
私の場合、実際に谷をひとつ間違えて予定到着地と数キロ離れた所に出てしまったことがあります。
~ ~ ~
309

不思議なことに アッ と思ったらいつの間にか「バス停河又」で下車し、名栗川の左岸を遡っていました。
313

少し歩けばに有間川との合流点・河又です。左の有間橋を渡れば名栗湖から棒ノ嶺や有間峠に、今日は橋を渡らずにもう少し直進します。するとすぐに右手に尾須沢鍾乳洞の案内坂があり、ここが今日の登山口になります。既に50年以上も前のこと友達とこの鍾乳洞に来たことがあるのですが、何処をどう歩いて登ったのか頭頂の如く全く憶えていません・・・いや、頭頂は少し残っていますよ。
316

317

318

登山口から進むと思ったより急登で、少し登っただけで汗ばんできました。
歩を止めて上着を脱ぎ、汗をぬぐっていると下からベテランの出で立ちに100戦練磨の雰囲気を持たれた方が追いついて来ました。道を譲り挨拶して先に行ってもらいます。
319

321 やっぱりベテランの方の足取りは違いますね。

ああそうだ・・・ベテラン(T氏)の方に失礼ながら背後からお声掛けをします。
「すみません~お尋ねしてよろしいでしょうか?」
「はい!」
「ここから楢抜山にいけるでしょうか?」
「はい 行ったことは無いですが、行けると思いますよ 普通は仁田山峠からでしょうね」
「承知です」
「私もそちら方面に行きますので・・・」
じつはこの先、ベテラン(T氏)のお陰で途中を迷うことなく進めました。
(ベテランの方は以後、所沢からこられたのでT氏とします)
322

323

325

尾須沢鍾乳洞に向かう道は短いのですが、苔や倒木、足元は出水の影響か少し荒れ気味の急登でした。
326 流石にベテランです。適切な判断で躊躇せず休まず登って行かれます。

328

汗をかきながら暫くT氏の跡を追っていくと、白っぽい岩壁が有りました!
ここで岩登りをやる方がいるのですね。
クライマーが3人それぞれの間隔で準備中のようです。
・・・う~ん 50年前と岩壁が違うような気もしますがやっぱり憶えてないですね。
329

331

今回この鍾乳洞はあくまでも通過途中の目印のようなものですので、足場の確保をして水分の補給です。
333

334

335

一息いれて岩壁の前を左側に廻り込み、岩場の背面へと廻り込めばよいのですが、踏み跡が薄くここが分かり難いですね。行き過ぎてしまう可能性があります。
【もしこのルートを初めて通られる方がいるようでしたら、岩場の左側斜面を登って行けば大丈夫です】
336

339

兎に角、尾根を目指してとの思いで、植林で見通しの無い斜面を上へと登ると尾根道に取り付きました。
340

341

344

348

尾根道を暫く登るとピークに出ます。T氏と楢抜山はここでしょうかね?
・・・しかしそれらしき表示は見つからず、詳細図を見直し、T氏は楢抜山がまだ先だと気が付きます。ここは三又ですね・・・流石です。
355

356

この三又は尾須沢鍾乳洞から来て左に下ると仁田山峠、やや右を進むと楢抜山方面のようです。落ち着いて地図と方角を見ればその通りです。私の場合は本当に困らなければ滅多に地図を見ない・・・そういう山を甘くみる考えは改めなければいけませんね。
そんな考えで山歩きをして、おお外ししたことがあります。
そこには予期せぬ面白さもありますが、大きな危険が潜んでいることもあります。けしてお薦めするものではありません。
357

359

三又を確認後、楢抜山へと進むのですが突然あら~と思うような急な下り坂です。それも先日の雨で少々ヌカリ滑り易いです。更にここを下った先には急な登り返しが待ち構えています・・・仁田山峠に行くにはここを登って戻らなければならず、この時点で少なくともあと2回ずつ急坂の上り下りがあることが分かりました・・・まあ仕方なく行くしかありません。
360

361

362

363 卍岩ボルダー・・・見事な石積の防壁に見えますが、永年の風雪によるヒビですね。

自然はときに石の名工になります。
*後で分かったことなのですが、この岩は登りの方が練習に使うことが有るようです。
この辺には他にも雷岩や蛇岩、小泉エリア等があり、岩登りをする方々が訪れているようです。
366

368

何とか無事に下り、急登を登り返してT氏の後を追い、馬の首のような所を登りきって少し行くとピークに到着しました。
369

370

いくら何でも楢抜山はこの辺だろうと思いT氏と周囲を見回すと、「ありました!」楢抜山553mの表示と三等三角点です。
登頂です・・・どんな山でも初めてピークを踏むとそれなりの達成感が湧いてきます。
374

376

しかし楢抜とはどういう意味なのでしょう・・・「楢」の木はありますが、「抜」の意味が分かりません。勝手に考えると楢の木を抜く・・・この山主は何らかの理由で楢の木が嫌いなため、楢が芽生えても抜いてしまう・・・かなり無理な推測です。
377

展望は・・・残念ながら周囲を木々に囲まれているため展望、視界はほとんどありません。垣間に棒ノ嶺、大岳山が僅かに見えますが、枝が邪魔をしてピントが合わず写真を上手く撮ることが出来ません(枝が無くても上手くは撮れませんが・・・)
378

T氏と周囲を見ながらお話をします。
やはり奥武蔵を沢山歩かれているようです。
私はこれから仁田山峠を経由してコア山方面へ
T氏は論地山から下名栗と久林の境辺りを目指すとのこと
ここでT氏とはお別れです。
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2019/03/10 Sun.
鈴懸の木~青水門/赤水門‐青水門(北区・岩渕)再訪-3 2018-12-29 
鈴懸の木~青水門/赤水門‐青水門(北区・岩渕)再訪-3 2018-12-29
937 青水門(北区・岩渕)・ここで荒川から分流し隅田川へ

前回は⇒ 赤水門‐青水門(北区・岩渕)再訪-2 台風の水位記録、赤水門、オブジェ 2018-12-29
既に2ヶ月半も前のこと、去年の12月29日になります。
◇地図 現在地・赤水門の先端から

897a 赤水門の先端島、オブジェ・月を射る

896 鈴懸の木(プラタナスノキ)

赤水門の先端、島状の所に面白い実のついた木があります。
径4~5㎝の球体の実、表面が粒々とした小球の集合体でその
先に針がついているような形で堅そうな感じです。
しかし、落ちているのを見ると脆く実は割れて粒がバラバラになり
柔らかな綿毛が付いています。
タンポポの種が風によって拡散するそんな感じに近いですね。
900

恥ずかしながら、この木(実)の名を知らずにいました。
後日「ぶらっと遡上探索」さんの植物園記事の中に見たことのある実があり、
鈴懸の木(実)であると知ったのです。
プラタナスと云う言葉は何度か聴いたことはありますが
実際にはどんな木なのか分からなかったですね。
904 鈴懸の木(プラタナス)

じつは「鈴懸の径」という曲(歌)は聴いたことがあります。
この時も「鈴懸の径」の意味が分からずいましたね。
歌っていたのは「ザ・ピーナッツ」でした・・・古いですね。
調べるとこの曲が出来たのは私が生まれるよりずーっと前のことでした。
905

実際の木に実の着いているのを見るとああなるほどと、やっと分かります。
確かに鈴が懸っています。
902

906 草刈りの碑 「農民魂は先ず草刈から」

903

草刈選手権
競技としての草刈が荒川の土手で行われていた・・・
純粋で長閑な時代、そういう時代があったのですね。
(昭和13年~18年5年間、その後戦争の影響で中止)
907 さて、赤水門の先端島を後に青水門に向かいます。

910 赤水門・岩渕・・・向こうは埼玉川口のタワーマンション

911 出水に隅田川への流量を制限する「青水門」現役です。

◇荒川
その名の通り昔から幾度となく荒れ、広い流域に大きな被害を及ぼしてきました。
江戸時代以前は利根川の支流として埼玉の東で利根川と合流し東京湾に注いでいました。
江戸時代以降、水害対策として流路の改良が行われ利根川は東京湾に流れ込んでいたものを
瀬替により東に追いやり、千葉の犬吠埼から太平洋へ注ぐようにし、荒川は川越の東で入間川と
合流させ、現在の隅田川に荒川が流れていました。
(それ以前は入間川が東京湾に注いでいたことになります)
昭和になって岩渕の水門から新木場河口まで荒川放水路(約22㎞)が造られ、
その後(昭和40年・1965年)政令によって放水路が荒川の本流と命名されました。
荒川河口⇒ 奥武蔵の山人 荒川河口に到達する
913 青水門

◇隅田川
江戸時代以前は入間川の下流部の河川名とされていましたが、江戸時代以降に荒川が
入間川に付け替えされて荒川の下流部となります。更に昭和には岩渕から河口まで放水路が造られ、
荒川の本流が放水路となるに伴い岩渕水門から分流した河口までは隅田川とされました。
914

920

新河岸川と荒川からの分流(青水門経由)分が合流し
「隅田川」として千住、浅草、浜松などを経由後、東京湾に流れ込みます。
921

923 隅田川に流入する水、右向こうは荒川

927 赤水門の遠方(背景)に奥多摩、奥武蔵の山並みが見えます。

ここから奥武蔵の山が見えるとは感動ものです。
左から
川苔山~日向沢ノ峰~有間山稜~
奥武蔵アルプス~武甲山~両神山~二子山?・・・
935 テトラポットの向こうにスカイツリー 自分的には面白い風景です。

936 隅田川・・・千住~浅草方面

940 ポールの左、遠方の薄いのが両神山、その左が武甲山ですね。

40a1

右端に見えるのは
もしかしたら 恐怖の 小鹿野・二子山 かな?
945

946 隅田川の上流側・新河岸川沿いを歩い・・・さて帰ることにします。

949 途中の「八雲神社」に奥武蔵までの帰路の安全をお願いします。

234

帰りは赤羽一番街で遅めの昼食をするため、食い物屋を物色しました。
流石に都内有数の飲食街、お店が沢山あって山中から出て来た者は
目移りばかり、何処が良いかさっぱり分からず
結局は聴いたことがありそうなトンカツ屋さんにしましたわ。
赤水門‐青水門(北区・岩渕)再訪-終わり
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937 青水門(北区・岩渕)・ここで荒川から分流し隅田川へ

前回は⇒ 赤水門‐青水門(北区・岩渕)再訪-2 台風の水位記録、赤水門、オブジェ 2018-12-29
既に2ヶ月半も前のこと、去年の12月29日になります。
◇地図 現在地・赤水門の先端から

897a 赤水門の先端島、オブジェ・月を射る

896 鈴懸の木(プラタナスノキ)

赤水門の先端、島状の所に面白い実のついた木があります。
径4~5㎝の球体の実、表面が粒々とした小球の集合体でその
先に針がついているような形で堅そうな感じです。
しかし、落ちているのを見ると脆く実は割れて粒がバラバラになり
柔らかな綿毛が付いています。
タンポポの種が風によって拡散するそんな感じに近いですね。
900

恥ずかしながら、この木(実)の名を知らずにいました。
後日「ぶらっと遡上探索」さんの植物園記事の中に見たことのある実があり、
鈴懸の木(実)であると知ったのです。
プラタナスと云う言葉は何度か聴いたことはありますが
実際にはどんな木なのか分からなかったですね。
904 鈴懸の木(プラタナス)

じつは「鈴懸の径」という曲(歌)は聴いたことがあります。
この時も「鈴懸の径」の意味が分からずいましたね。
歌っていたのは「ザ・ピーナッツ」でした・・・古いですね。
調べるとこの曲が出来たのは私が生まれるよりずーっと前のことでした。
905

実際の木に実の着いているのを見るとああなるほどと、やっと分かります。
確かに鈴が懸っています。
902

906 草刈りの碑 「農民魂は先ず草刈から」

903

草刈選手権
競技としての草刈が荒川の土手で行われていた・・・
純粋で長閑な時代、そういう時代があったのですね。
(昭和13年~18年5年間、その後戦争の影響で中止)
907 さて、赤水門の先端島を後に青水門に向かいます。

910 赤水門・岩渕・・・向こうは埼玉川口のタワーマンション

911 出水に隅田川への流量を制限する「青水門」現役です。

◇荒川
その名の通り昔から幾度となく荒れ、広い流域に大きな被害を及ぼしてきました。
江戸時代以前は利根川の支流として埼玉の東で利根川と合流し東京湾に注いでいました。
江戸時代以降、水害対策として流路の改良が行われ利根川は東京湾に流れ込んでいたものを
瀬替により東に追いやり、千葉の犬吠埼から太平洋へ注ぐようにし、荒川は川越の東で入間川と
合流させ、現在の隅田川に荒川が流れていました。
(それ以前は入間川が東京湾に注いでいたことになります)
昭和になって岩渕の水門から新木場河口まで荒川放水路(約22㎞)が造られ、
その後(昭和40年・1965年)政令によって放水路が荒川の本流と命名されました。
荒川河口⇒ 奥武蔵の山人 荒川河口に到達する
913 青水門

◇隅田川
江戸時代以前は入間川の下流部の河川名とされていましたが、江戸時代以降に荒川が
入間川に付け替えされて荒川の下流部となります。更に昭和には岩渕から河口まで放水路が造られ、
荒川の本流が放水路となるに伴い岩渕水門から分流した河口までは隅田川とされました。
914

920

新河岸川と荒川からの分流(青水門経由)分が合流し
「隅田川」として千住、浅草、浜松などを経由後、東京湾に流れ込みます。
921

923 隅田川に流入する水、右向こうは荒川

927 赤水門の遠方(背景)に奥多摩、奥武蔵の山並みが見えます。

ここから奥武蔵の山が見えるとは感動ものです。
左から
川苔山~日向沢ノ峰~有間山稜~
奥武蔵アルプス~武甲山~両神山~二子山?・・・
935 テトラポットの向こうにスカイツリー 自分的には面白い風景です。

936 隅田川・・・千住~浅草方面

940 ポールの左、遠方の薄いのが両神山、その左が武甲山ですね。

40a1

右端に見えるのは
もしかしたら 恐怖の 小鹿野・二子山 かな?
945

946 隅田川の上流側・新河岸川沿いを歩い・・・さて帰ることにします。

949 途中の「八雲神社」に奥武蔵までの帰路の安全をお願いします。

234

帰りは赤羽一番街で遅めの昼食をするため、食い物屋を物色しました。
流石に都内有数の飲食街、お店が沢山あって山中から出て来た者は
目移りばかり、何処が良いかさっぱり分からず
結局は聴いたことがありそうなトンカツ屋さんにしましたわ。
赤水門‐青水門(北区・岩渕)再訪-終わり
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Posted on 10:45 [edit]
category: 名栗川 入間川 その他の河川 湖沼
2019/03/05 Tue.
廃寺(宝性寺)跡・リュウガイ城跡_探訪/奥武蔵-2 リュウガイ城跡 2019-02-02 
廃寺(宝性寺)跡・リュウガイ城跡_探訪/奥武蔵-2 リュウガイ城跡 2019-02-02
737 リュウガイ城跡

前回20名程の団体でリュウガイ城跡を目指したのですが、
諸般の事情により敢え無く途中で敗退となったのです。
そんでこんダよぉ精鋭で固めた部隊(実は老隊ですがな)で
リュウガイ城跡を探索してみようじゃんかと言うことになったんですわ。
前回は⇒ 廃寺(宝性寺)跡・リュウガイ城跡_探訪/奥武蔵-1 廃寺跡 2019-02-02
◇ 地図・リュウガイ城跡

じつは再び行くことになった切掛けは、熱心な歴史家から廃寺を是非探索したいとの希望が有り、
それはそれで折角大都会から奥武蔵の山中に行くのにそれだけでは少々物足りない・・・
そんなことで、ついでに前回辿り着けなかったリュウガイ城跡にも寄ろうと云うことになったんですわ。
700 目指すは前方の山の奥の方ですね。

そういうことで実際には-1では名栗川上流・左岸・・・唐竹橋バス停で下車し
右岸の①「廃寺探索(宝性寺・ほうしょうじ)」を終え、これから②リュウガイ城跡に攻め込むワケですわ。
696 名栗川左岸を「中ノ坂」に向かう

隊は再び水明橋を渡り、名栗川の左岸と妻沢川の右岸の間にある「中ノ坂(峠)」に向かいます。
698 リュウガイ城跡への案内表示がありました(原市場まちづくり推進委員会)

この辺、昔は日影村と云いました。後に赤沢村になり、1889年には原市場周辺の村が合併し原市場村になりました。
更に1956年には吾野村、東吾野村とともに飯能市に編入し、現在は飯能市>原市場>赤沢>日影となっています。
702

時は2019年2月2日、それはナント道無き道を歩くでもなく、寒風の吹き荒れる過酷な山歩きでもない、
まあ多少のアップダウンは有ったものの老隊でも何とかなった行程でした。
実際には飯能駅北口から名栗方面行のバスに30分程乗り
名栗川上流・左岸の・・・バス停・唐竹橋で下車します。
先ず
①右岸の廃寺探索(宝性寺・ほうしょうじ)して
その後
②リュウガイ城を攻めるの
予定で精鋭6名(老隊でんがな)が果敢に奥武蔵の山中に
攻め入ったのでありますがな。
703 「中ノ坂」の切通し

いつ造られたのか分かりませんが、100年とか150年前でしょうか・・・
厚く堅固な岩の壁を人力で抜いたのでしょう。大変な開鑿(かいさく)作業であったと思われます。
当時はこれが開通したお陰で赤沢村(名栗川)と原市場村(妻沢川)との行き来がとてもし易くなったと思われます。
リュウガイ城跡へはここを越えて、下るとすぐに左手に上る道への指道標があり、分かり易く導いてくれます。
706 最初の急登を詰めれば目印の鉄塔にでました。

708 更に急登は続きますが、今回は流石に精鋭の老隊ですから全く問題ありません・・・

710 モチロン急登ばかりではありません。

適度な傾斜で老隊にはとても優しい快適な道もあります。
711 でも~ 直ぐにまた息切れしそうな急登です。

715 何のアンテナでしょうか?

遠方の山に鉄塔が見えます。南高麗の細田地区ですね。
717 ?朝日山・・・詳細地図では朝見山とありましたが・・・

719朝見山(朝日山)を更に進むと急な下りに入り、更に登り返しが待っています。

721 いい加減に疲れてきたところで、指道標に励まされます。

「原市場地区まちづくり推進委員会」の皆様ありがとうございます。
725

726 また急登です。これが最後の登りであればよいのですが・・・

731 それが、最後ではなく急登はまだまだ続きます。

それで、ここを登りきると
734 あっ!! 何か人工的な溝で、これが堀切り?

735 更に進むと ここのようですね!!

736 龍谷山・リュウガイ城跡に到着

740

744

746

748 倒木の根がなんとも魅力的ですね。

749 反対側の堀切りを見に行きます。

751 だいぶ崩れて埋まっているようですが、人工的な溝は明確です。

東西にある堀切り間は100m近くあるでしょうか?
いつの時代か分かりませんが、数百年も前のことでしょうか。
見張り用の山城と云われていますが、果たして誰が、どのような敵に対して
見張っていたのでしょう。
他の方がお調べになられた資料によると山城の跡として堀切り、主郭、土塁、などが残されているとのこと。
一行はここで昼食を摂った後、城跡を丹念に調査?して下山にかかります。
山頂に実際に誰が、どのような山城を築き、どのような任務を果たしていたのか、な~んて思いを
巡らせながら来た道を引き返します。
ご心配をおかけ致しましたが、奇跡的にも老隊全員無事に下山することが出来たことをお伝えしておきます。
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737 リュウガイ城跡

前回20名程の団体でリュウガイ城跡を目指したのですが、
諸般の事情により敢え無く途中で敗退となったのです。
そんでこんダよぉ精鋭で固めた部隊(実は老隊ですがな)で
リュウガイ城跡を探索してみようじゃんかと言うことになったんですわ。
前回は⇒ 廃寺(宝性寺)跡・リュウガイ城跡_探訪/奥武蔵-1 廃寺跡 2019-02-02
◇ 地図・リュウガイ城跡

じつは再び行くことになった切掛けは、熱心な歴史家から廃寺を是非探索したいとの希望が有り、
それはそれで折角大都会から奥武蔵の山中に行くのにそれだけでは少々物足りない・・・
そんなことで、ついでに前回辿り着けなかったリュウガイ城跡にも寄ろうと云うことになったんですわ。
700 目指すは前方の山の奥の方ですね。

そういうことで実際には-1では名栗川上流・左岸・・・唐竹橋バス停で下車し
右岸の①「廃寺探索(宝性寺・ほうしょうじ)」を終え、これから②リュウガイ城跡に攻め込むワケですわ。
696 名栗川左岸を「中ノ坂」に向かう

隊は再び水明橋を渡り、名栗川の左岸と妻沢川の右岸の間にある「中ノ坂(峠)」に向かいます。
698 リュウガイ城跡への案内表示がありました(原市場まちづくり推進委員会)

この辺、昔は日影村と云いました。後に赤沢村になり、1889年には原市場周辺の村が合併し原市場村になりました。
更に1956年には吾野村、東吾野村とともに飯能市に編入し、現在は飯能市>原市場>赤沢>日影となっています。
702

時は2019年2月2日、それはナント道無き道を歩くでもなく、寒風の吹き荒れる過酷な山歩きでもない、
まあ多少のアップダウンは有ったものの老隊でも何とかなった行程でした。
実際には飯能駅北口から名栗方面行のバスに30分程乗り
名栗川上流・左岸の・・・バス停・唐竹橋で下車します。
先ず
①右岸の廃寺探索(宝性寺・ほうしょうじ)して
その後
②リュウガイ城を攻めるの
予定で精鋭6名(老隊でんがな)が果敢に奥武蔵の山中に
攻め入ったのでありますがな。
703 「中ノ坂」の切通し

いつ造られたのか分かりませんが、100年とか150年前でしょうか・・・
厚く堅固な岩の壁を人力で抜いたのでしょう。大変な開鑿(かいさく)作業であったと思われます。
当時はこれが開通したお陰で赤沢村(名栗川)と原市場村(妻沢川)との行き来がとてもし易くなったと思われます。
リュウガイ城跡へはここを越えて、下るとすぐに左手に上る道への指道標があり、分かり易く導いてくれます。
706 最初の急登を詰めれば目印の鉄塔にでました。

708 更に急登は続きますが、今回は流石に精鋭の老隊ですから全く問題ありません・・・

710 モチロン急登ばかりではありません。

適度な傾斜で老隊にはとても優しい快適な道もあります。
711 でも~ 直ぐにまた息切れしそうな急登です。

715 何のアンテナでしょうか?

遠方の山に鉄塔が見えます。南高麗の細田地区ですね。
717 ?朝日山・・・詳細地図では朝見山とありましたが・・・

719朝見山(朝日山)を更に進むと急な下りに入り、更に登り返しが待っています。

721 いい加減に疲れてきたところで、指道標に励まされます。

「原市場地区まちづくり推進委員会」の皆様ありがとうございます。
725

726 また急登です。これが最後の登りであればよいのですが・・・

731 それが、最後ではなく急登はまだまだ続きます。

それで、ここを登りきると
734 あっ!! 何か人工的な溝で、これが堀切り?

735 更に進むと ここのようですね!!

736 龍谷山・リュウガイ城跡に到着

740

744

746

748 倒木の根がなんとも魅力的ですね。

749 反対側の堀切りを見に行きます。

751 だいぶ崩れて埋まっているようですが、人工的な溝は明確です。

東西にある堀切り間は100m近くあるでしょうか?
いつの時代か分かりませんが、数百年も前のことでしょうか。
見張り用の山城と云われていますが、果たして誰が、どのような敵に対して
見張っていたのでしょう。
他の方がお調べになられた資料によると山城の跡として堀切り、主郭、土塁、などが残されているとのこと。
一行はここで昼食を摂った後、城跡を丹念に調査?して下山にかかります。
山頂に実際に誰が、どのような山城を築き、どのような任務を果たしていたのか、な~んて思いを
巡らせながら来た道を引き返します。
ご心配をおかけ致しましたが、奇跡的にも老隊全員無事に下山することが出来たことをお伝えしておきます。
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