好日奥武蔵 (奥武蔵の山人)
実践記 ウォーキング、トレッキング ノ ススメ...稚拙な好奇心...時折下手な工作
2020/10/06 Tue.
吾妻峡(名栗川・入間川) 2020-10-04 
481 吾妻峡の「ドレミファ橋」から上流を見ています。

465 フラフラと歩いて、ふと気が付くと「飯能茜台大橋」でした。

こちらは右岸、向こうは天覧山
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467 危ないから人間は真似をしないでね。

橋に来るとどうしても橋脚を見たくなりますが、この橋はアーチ型なので橋脚はありません。
両岸に橋台のようなものはありますが、それでも桁を陰で支えている骨組みの部分を見たくなりますね。
そんなのサルだけかな・・・
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残念ながら不審者の侵入を防止するように金網でガードを固めています。
私的には金網はいらないんじゃあないですか…ああ、私みたいのがいるからですね。
この橋の工事現場 ⇒ アーチの工事「仮称 飯能大河原線」橋梁-4 をさまよってみる・場繋ぎ2018-02-11
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~ ~ ~
それで…来たついで、久しぶりに「吾妻峡」を歩いてみるか…と
473 永田大杉(バス停:永田大杉)から

昔、ここに杉の巨木があり、それがバス停の名で残っているわけです。
幹の途中から桜の木が出て、モチロン春には杉の木から桜の花が咲いていました。
そのバス停の反対側にあるドラッグストア手前から名栗川左岸へ
474 畑の中に句標があります。ナカナカのものです・・・すいません 句は分かりませんが

木枯に 正々堂々 傘寿なり
(傘寿(さんじゅ)寄る年波なんてモノともせず!!)
神仏け 正しき者に実り有り(原文に忠実に記)
(神仏は正しいことを見て、その者に成果があるように導く? 季語は?なんて…ああ、実りで秋かな)
濡れ衣を 晴らして咲くは 福寿草
(誤解が解けた?福寿草ですから新年早々良かったですね)
…瞬間で勝手な俳句の観察員に山猿…
475 そんな面白い句標を左手に見て進むと

476 すぐに吾妻峡です。

477 ドレミファ橋

端の飛び石を (ド) から始めて (ド) (レ) (ミ) (ファ) (ソ) (ラ) (シ) (ド)…あらら 一個余っちゃいますね。
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480 この日の名栗川は、ご覧のように透き通る清流です。

482 こちらは下流側、沢山の人が来ていますね

483 「ドレミファ橋」を渡り左岸から右岸へ

右岸を下り、中平河原まで行ってみます。
484 昨秋の豪雨によって大分根元が洗われています。

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487 急な登り坂はありませんが、

ゴツゴツした石の上を歩くために山歩きに近いものがあります。
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さて「吾妻峡」ですが
この地を吾妻峡と呼ぶようになったのは、1912年5月に本多清六‗博士の講演が飯能で行われた際に、常盤平の東側付近が吉野山によく似ていると指摘され、この附近を「あづま吉野」と命名されたとの記録があり、そこから見下ろした渓谷なので「吾妻峡」としたものと思わます。
---上記は、県の担当課からご教示頂きました---
本多清六(旧姓‗折原、博士、1866~1952)林学者、造園家、投資家
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以下は山人の勝手な思いです。
…こから見下ろした渓谷なので「吾妻峡」としたものと思わます。…と、確定したことではなく推定の域ですね。
まあ、ここでは上の通りだったとしますが、確認のしようがありません。
本多博士が飯能に来たのは上に記したように1912年・明治45年のこと、当時その場で聴かれた方は年齢的にいらっしゃらないでしょう。
当たり前ですが、私はまだ生まれていませね…
495 この木はここに寝てから大分風雪を潜っていますが
一向に起きそうにありません。

では巷で「吾妻峡」と言われるようになったのは何時頃からでしょうか。
これも明確ではないようです。
今でも市民の間には「吾妻峡」を知らない人がたくさんいます。
徘徊人の私でさえ「あら、面白そうな処があるじゃない!」と、歩いてみたのが数年前のことです。
案内には、1934年?以降に発行されてと思われるリーフレット「飯能天覧山」に「吾妻峡」が記されているとのことです。(それ以前の記録が見つかってないと言うこと)そのことから1930年代の始め頃から「吾妻峡」と言われるようになったと思われます。
496 何かの圧力を受けて、

頭を採られ、45度に傾いていますが、それでも耐えて、頑張って緑の葉をつけています。
私もこの木を見習って忍耐強くありたいものです。
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すっかり忘れていましたが、
昨年もここを徘徊していたようです⇒ 吾妻峡(清流名栗川)-2ドレミファ橋 2019-06-28
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そんな経緯を「吾妻峡」は知ってか知らずか、名栗川の清流を繋ぎ湛え、ここを歩く人、佇む人の心身を健やかにしてくれます。
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503 ここにも倒されても諦めず

逆境にもめげずに緑葉の枝を出す樫の木があります。これも見習いたいですね。
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509 「飯能茜台大橋」

これの橋が見えると「中平河原」です。
ところで「吾妻峡」の範囲は何処からドコまでなんでしょうね。
「岩根橋」から「ドレミファ橋」と言う説があります。
しかしですよ「ドレミファ橋」が出来たのは昭和の始めですか?とてもそのようには見えません。
いやそれでも「ドレミファ橋」までで良いですが、ガイドであった場合、もっと上流側に「吾妻大橋」があるのはどう説明すれば…「吾妻大橋」の下は「吾妻峡」ではありません…言い難いですね。
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さて「中平河原」右岸の道を上り、一般道にでて、本日の徘徊は終了。
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Posted on 23:19 [edit]
category: 名栗川 入間川 その他の河川 湖沼
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コメント
吾妻峡
こんにちは~
両岸の樹々の緑も映してきれいな水の色ですね~
中でも487は渓谷の雰囲気も出ていますね。
その次はケルンのように人が石を立たせたのでしょうか。
吾妻峡 の命名も、本多清六博士が係わっていたのですね。
嵐山渓谷 も博士が京都の嵐山に似ているということで名づけられて、町名にまでなりました。
吾妻峡と嵐山渓谷は景色も似ていますね。
今回も橋脚がありますが、私も見習って橋脚や橋の裏側を少し撮ってみました。(笑)
URL | ふさじろう #-
2020/10/07 16:36 | edit
Re: 吾妻峡
ふさじろうさん
こんばんは~
はずかしながら、この辺を知ってから、まだ間もないのです(笑)
飯能河原のすぐ上流側から始まるのですが、景色が急に変わり
渓谷らしさが出てきますね。
石を立たせているのは、最近ロックバランシングとか石積みアートとかいうそうですね。
検索すると凄いのがあります。
聴くところによりますと、本多清六氏はかなりの人物だったようですね。
以前、仕事で東武線に乗ると嵐山という名が出てきまして
なんで埼玉に嵐山があるのと思っていましたよ。
本多氏が嵐山にも関わっていたとは知りませんでした。
URL | 奥武蔵の山人 (好日奥武蔵) #-
2020/10/07 18:04 | edit
こんばんは
紅葉にはまだ時間がかかりそうですね。
今年の紅葉は期待できるんでしょうか。
水が澄んでいてきれいでいいですね。
多摩川は去年の台風から水が白く濁ったままです。
奥多摩湖が濁っているんでしょうね。
早く澄んだ水になってほしいです。
URL | 西やん #-
2020/10/07 20:17 | edit
Re: こんばんは
西やん さん
こんばんは
だいぶ涼しくなってきましたね。
はい この辺の紅葉は木によっても異なるでしょうが
11月はいるでしょうか。
やけに水が澄んでいました。
以前はやはり白っぽく濁っていましたが、だんだんと濁りがとれて
きた感じです。
URL | 奥武蔵の山人 (好日奥武蔵) #-
2020/10/07 23:53 | edit
コメントありがとうございます
今晩は山人さん
この前、飯能駅から成木川に行く時に、飯能茜台大橋を渡りましたよ。途中で、工業団地方向へ逸れたので系統を間違えたか心配でした(笑)。ドレミファ橋付近の流れ綺麗ですね、今月上旬だと、少し寒く無かったですか、今日は日中家に居ても涼しくて靴下を今シーズン初めて履きましたよ。秋の長雨で、又、出掛けられず計画が立てられませんね。
稚拙料理、どれでも100円なので如何ですか、でも、家までの交通費が高くなるので無理ですね(爆)。では、また...
URL | ぶらっと遡上探索 #-
2020/10/08 19:37 | edit
Re: コメントありがとうございます
ぶらっと遡上探索さん
こんばんは
成木川に行くとき・・・乗られたバスは北口から間野黒指方面行きでしょうか。
そのルートは以前、岩根橋を通っていたのですが、飯能茜台大橋が完成したので
そちらを通ることになりました。
だいぶ寒くなり、今朝は体感16~17℃くらいでしたね。
料理は稚拙どころか、玄人はだしですね~ 素晴らしい特技!
URL | 奥武蔵の山人 (好日奥武蔵) #-
2020/10/09 00:04 | edit
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