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好日奥武蔵 (奥武蔵の山人)

実践記 ウォーキング、トレッキング ノ ススメ...稚拙な好奇心...時折下手な工作

平九郎   

渋沢 平九郎  飯能 2021夏
889
☆IMGP9889

渋沢平九郎について詳しいことを知っているわけではない
しかし、街の中に平九郎のフラッグが沢山かかっているので
いつものようにダラリと取り留めのないことを記してみる。

870
☆IMGP9870

◇NHK「晴天を衝け」をご覧になり詳しい方が多いと思うが、
渋沢平九郎(旧姓、尾高)は1847年に武蔵国の豪農の子生まれ、1868年に当地の飯能戦争で亡くなっている。
従兄の栄一が慶喜の命によってパリ万博に行く時に見立養子となり
時代の急変、幕末維新の狭間を駆け抜けた悲劇の若者である。

939 振武軍(飯能市立博物館)
☆IMGP9939

飯能戦争(戊辰戦争の局地戦)
平九郎は1868年(慶応4年)に彰義隊より分派した振武軍に加わり、
飯能において新政府軍と戦い敗走する。
顔振峠を越えて越生に下る途中、黒山(村)にて広島藩の兵と遭遇し壮絶な戦いの後に自刃する。
享年22である (NHK、晴天を衝け 第25話)

◇ 能仁寺
能仁寺 山門

飯能戦争、振武軍が本営を置いた能仁寺(新政府軍の砲を浴びて焼失する。今の建物は再建されたものである。 本堂、1936年昭和11年に再建)
能仁寺⇒
 奥武蔵の秋-1能仁寺 2017-11-12

937 当時の砲弾(不発弾、飯能市立博物館)
☆IMGP9937

◇ 智観寺1
智観寺 門1

当時、振武軍は飯能の幾つもの寺に宿していたため
多くの寺が戦禍を受けることになる。

◇ 智観寺(被弾の門)には当時被弾した痕が今も生々しく残っている。
智観寺 飯能戦争 被弾門

~~~
飯能の戦いで振武軍が敗れると、平九郎は成一郎、惇忠らとはぐれて北西に逃れ高麗川を渡り(と思うのだが、見ていたわけではない)顔振峠の茶屋に辿り着く、ここで茶と草鞋を求めた。茶屋の主人は振武軍(幕府軍)の敗走兵と見抜き、秩父への道を勧めるが、平九郎は故郷を想ったのか黒山に下る。
◇ 顔振峠・平九郎茶屋
顔振峠 平九郎茶屋

平九郎茶屋 https://www.youtube.com/watch?v=3UwX4X70LwI
以前は「峠の茶屋」として営んでいた。昭和46年に食事を出すために保健所に「平九郎茶屋」として届け出
874
☆IMGP9874

*茶屋は後に平九郎茶屋と改め今に継がれ
ハイカーやサイクリストたちの憩の場となり賑わっている。(当然ですが、私も立ち寄りして山菜うどんを頂いております。力うどんも良かった)

209 ひと際気高く雪化粧の富士(4月)
☆IMGP8209

平九郎から既に153年を経たこの日、顔振峠・グリーンラインからの山並は素晴らしいものであった)

◇ 平九郎茶屋からの飯能アルプス(南に美しい山並みの展望が広がります)
平九郎茶屋から見る 飯能アルプス 奥武蔵の山並
当時の平九郎にこの景色を見る余裕が有ったかどうか…

279 烈士 渋沢平九郎
☆IMGP8279

代を継がれた主人から当時の様子をお聴きする機会が有った。平九郎が茶屋に預けた刀が箪笥の引き出しから出てきたと…平九郎は茶屋にお礼として刀を預けたのか、茶屋の主人が敵兵に遭った時に刀は持っていない方が疑われないから置いていったらよいでしょうと進言したのか分からないが、茶屋に大刀を預けたため、黒山で広島藩の兵と戦い自刃した時は小刀であった。

281 顔振峠碑文
☆IMGP8281
~~~
平九郎は茶屋の主人に礼をして黒山に下るが、広島藩の兵士と遭遇し壮絶な最後を遂げる。

289 平九郎 自刃の地
☆IMGP8289

283 今は舗装された車道、小さな谷川の端に地は護られている。
☆IMGP8283

285
☆IMGP8285

286
☆IMGP8286

A
☆IMGP8286a

B
☆IMGP8286b

287 唯一の写真
☆IMGP8287
当時のイケメンとされているが
俺の方がと思う者はこの写真とご自身を鏡で見比べてみるとよかろう。

288 平九郎 自刃の地を訪れた渋沢栄一一行 明治45年
☆IMGP8288

~~~
全洞院
290 川を渡り
☆IMGP8290

291 
☆IMGP8291

292
☆IMGP8292

293 小道を上がって行くと 
☆IMGP8293

295 渋沢平九郎の墓
☆IMGP8295

平九郎の首は刎ねられて越生に晒された後、横田佐兵衛と島野喜兵衛によって
密かに法恩寺に埋葬され遺骸は全洞院に葬られた。(越生町史跡)
明治6年遺骸は渋沢家墓地(谷中)に改装、全洞院には平九郎の墓が建てられた。
296a
☆IMGP8296a

891
☆IMGP9891

887
☆IMGP9887

百五十余年を経てた今、平九郎は戦った飯能の地で蘇っています。
飯能戦争(表紙絵)

922 折しも博物館にて「渋沢栄一」展が開催中である。

☆IMGP9922
12月26日まで展示されているので、
ご興味ある方は天覧山のついでにでも覘いてみては如何でしょう。

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Posted on 23:56 [edit]

category: 未分類

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コメント

渋沢と聞いて、、あれ?新一万円札だったか?
と思ったら
こちらは幕末のイケメンですね。
顔振峠の平九郎茶屋にはそんな歴史があったなんて
知りもしませんでした。
ところで栄一さんの事もろくに知らない私でしたが、
調べると近代日本経済の父と言われる偉人だったんですね
調べるほどに知っている企業や組織の設立に貢献した人で更にビックリ!
ま、それくらいじゃないと新札に起用はされませんよね~

URL | タマチャリン #-
2021/09/06 17:52 | edit

Re: タイトルなし

タマチャリンさん
 こんばんは
そうなんです 一万円札は栄一さんでしたね
平九郎はイケメンと言われているようですが
 それでもタマチャリンさんの次ぐらいでしょう
顔振峠峠の茶屋は今から153年ほど前に平九郎が
立ち寄って(テレビでやってました)ましたね
茶屋は創業何年になるのか代々続けているのだから凄いものです。
立ち寄って運が良ければ当時から伝わる話を聴けるかも知れません。

私も知りませんでしたが、従兄の栄一さんはエライ方ですね
確かに日本経済の父ですね。
日本経済を発展させた元祖みたいな人ですね。

URL | 奥武蔵の山人 (好日奥武蔵) #-
2021/09/06 19:12 | edit

こんばんは

奇しくも先日、黒山から顔振り峠に登り、吾野に下りました。
黒山では全洞院の平九郎の墓に詣でました。
自刃の地はわからなかったので行きませんでした。
黒山から役行者の像までは坂がきつくてまいりました。
平九郎が歩いたのは夜だったら足元が見えなかったでしょうね。
しかも平九郎茶屋の脇からの山道で雷雨、傘がありましたが大変でした。
平九郎はユガテから登ったんでしょうね。

URL | 西やん #-
2021/09/06 20:14 | edit

Re: こんばんは

西やんさん
 こんばんは
黒山から顔振峠峠の記事を拝見しました。よく歩かれましたね。
当方は平九郎の墓、自刃の地、平九郎茶屋を廻りました。
(茶屋以外は知りませんでしたので、案内を頂いて行くことが出来たのです)
峠からの駅までの下りは急坂ですし雨中の下山とは大変でしたね~
摩利支天のところは空気が澄んで晴れていれば風景が良く見えますよ
春の桜の季節もよいと思います。
それにしても、健脚ですね~

URL | 奥武蔵の山人 (好日奥武蔵) #-
2021/09/06 20:58 | edit

こんばんは。

「晴天を衝け」は観てなかったので奥武蔵の山人 さんの記事で勉強させていただきました。
22歳で生涯を閉じられたのですか。
当時の姿や様子が写真で残ってるのもすごいと思います。
写真ってやっぱりいいなって思いました。
ちょっと的外れな感想ですみません。

もう9月になりましたね。
あっという間です。
朝晩が涼しいし日中はまだまだ暑い日もあるので、ご体調にも気を付けてくださいね。


URL | チビmomo #-
2021/09/06 21:19 | edit

Re: タイトルなし

チビmomoさん
 こんばんは
恥ずかしながら 渋沢平九郎、渋沢栄一についてほとんど知ってはいないのです(笑)
たまたま、幕末維新の時に当地で幕府軍と新政府軍の戦いがあって(それもよく分かってないですが(笑))
そこに渋沢平九郎が参戦し敗れたわけです。
今も市内の寺には被弾の後や平九郎が刀を預けた茶屋が営まれています。
 写真は平九郎のはこれしかないそうですが百五十余年も前に撮られたのもですね。
NHKの晴天を衝けが無ければ何も知らずにいたことです。

奥武蔵も秋雨が長引いて、朝晩が寒い日が続き
 天候の安定とコロナが収まりますようにと願っています。

URL | 奥武蔵の山人 (好日奥武蔵) #-
2021/09/06 23:02 | edit

渋沢平九郎

こんにちは~
ドラマでは俳優がやるのでみな美男美女ですが、平九郎は本人も目鼻のはっきりしたいい男なのですね~
戊辰戦争をやり過ごして明治まで健在なら、渋沢栄一の片腕として活躍できたでしょうに、もったいなかったですね。
顔振峠は通りましたけど、今度は平九郎茶屋や自刃の地も訪ねたいです。
いつもながら奥武蔵さんの取材と撮影と、それをだれもが興味深くて分かりやすい記事の編集に感心しました。

URL | ふさじろう #-
2021/09/08 13:30 | edit

Re: 渋沢平九郎

ふさじろうさん
 こんばんは~
当時のイケメンと言われているらしいのですが、唯一残っている写真からは
ハッキリした顔立ちをしていますね~ 
仰せの通りでこの戦争で生き残っていれば栄一の力になれたでしょう。
一緒に戦った成一郎も惇忠も生き延びて、その後に富岡製糸初代工場長などで活躍しています。
最近知ったのですが、渋沢栄一も成一郎も飯能戦争(戊辰戦争の局地戦)よりも前に
当方が通った小学校の近くに来ていて、その時の文書が当時名主であった家の蔵から
出てきました。

URL | 奥武蔵の山人 (好日奥武蔵) #-
2021/09/08 20:01 | edit

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